キャッキャうふふなイチャラブ百合ゲーマーなわたくしであっても、このダーク百合の圧倒的普遍的実力にはブチぬかれるのみだ……!朔姫様のカリスマは、今回シナリオ上疲れは見せているが健在どころかやっぱえろになったらガチ眼差しになってGo!レズセックス!GO!そういう意味でも、そして作品の完成度的にも全く期待を裏切らないそーび氏。改めてアトラクとの相関性を感じます。それにしてもそーび氏は自分の見たいシチュとカプを追及するふたなり百合の闘士なのだな、と改めて。その姿勢に頭を下げつつ、まだまだ百合は終わらない、止まらない……!コンセプトの達成こそが百合の本懐であるだけに、最後まで走りぬいてくれ!闇夜に咲くは黒百合の艶美!
●前説
ビィヤァアァァン……!と琵琶が鳴る、朔姫様が今日も美少女を襲う!美しく驕慢・傲慢に。そんなでありながら「こんなモノ」が生えてしまった己の汚さを恥じながら。それでも抗えない性欲と、たおやかな美少女令嬢たちとの精神性のふれ合い……。
先日、本作がドロップされたばっかだっつうのに、早くもここエロスケにおいては熱い……熱い感想が何個も出てきている! ちょっと出遅れましたが当然のように買いました、わたくし百合者残響、本作「戦国の黒百合」第三作目。
なんといってもこの作品は、わたし的に100点の名作アリスソフト「アトラク=ナクア」の精神性を正当に継ぐダーク百合の王道を行く意欲作にして傑作にして実力派、の作品だと思っております。
皆さん口をそろえて「5年待った」と仰っています。
気持ちはわかる。とは言いつつも、実は残響は5年は待っていない。それも、残響がこのダーク百合の傑作に触れたのが、2年くらい前なのです。5年も待ってはいない。
別に「キャッキャうふふなイチャラブ百合」でないからこの作品を手にとるのが遅くなったわけでは……あ、ごめん、やっぱちょっとある。
シリアス成分が結構多くて、また、朔姫様が美少女たちに手を出すのの、最初は決まって「陵辱」ですからね。それも状況的に煮詰まったり、心の弱さを突く的な。基調がそれである以上仕方が無い。
ようは、アトラクが100点とはいえ、基本的にこういうダーク百合は、佇まいをただして望む「たまの豪華懐石料理」であって、いつも残響が摂取してやまないふぐり屋作品とか「りりくる」シリーズとかとはまたちょっと別のところです。「その花」シリーズや「りりくる」シリーズ、またガルパン百合妄想や、「フレームアームズ・ガール」百合妄想など、自分の基本摂取は「きゃっきゃうふふ」のイチャラブ。
そんなわけで、自分の周りの歴戦の百合者が、ひとりまたひとりと、当たり前のように黒百合新作を買うのを、はじめは「まだ慌てるような時間じゃない」と横目に見ていました。いずれ追いつくから待っててくれ!みたいな。マイペース、マイペースオブ百合……
……しかし、やっぱり力(リキ)ある百合作品は違う。えろすけでさっそく感想が上がっているのを見て、「やはり百合者としてはこれを見過ごすわけにはえんや(いくだろうか、いやいかない反語)!」と決断、サクっとDLsiteで購入、ちょっと流してみたら……
「傑作」とは、のっけから胸ぐらつかんで作品世界に引きずり込むものです。普遍性。そして、何より朔姫様のカリスマの魅力は、5年を経ても、全く薄まってはいなかった。だからこそ、こちらの「いやぁ日常摂取する百合は日常系百合のキャッキャうふふですよ、やはりばぜすちキテるね……(フレームアームズガールのバーゼラルド×スティレット。とくにすち子総受け)」とかヌルいことを言ってたおれは、やはり百合者として甘美なる軟弱に漬かってはいた。百合とは……本物の百合とは、こちらのヌルい日常などさっさとぶちこわしてくれるのですよ……。
それはあたかも初音姉様がかなこの前に颯爽と現れ、「死になさい、豚」と圧倒的な蜘蛛の暴力でもって非日常に誘い込むがごときもの……そして生まれるカプの花園……。まさに百合はシチュ(シチュエーション)であります。
そう、百合は思考実験ではない。
百合はいつだってシチュとカプより生まれる「物語の愉悦」!
「愛情(キャッキャうふふや、愛憎)の視線の絡み合い」!
このような「血の通った生きた女同士のカプ」が決定的に明記されていればこそ、
百合は……これからも、これからもずっと、終わらない、止まらない……たまらない!!
●時間がかかった理由の推測
5年、やはりファンにとっては長いものであったでしょう。ぼくなんて所詮はヌルい状況から黒百合を眺めていたもんですよ。そりゃあ時折言葉遊戯のHPいって
進捗ないかとブログ見たり、過去の人気投票の結果を見て「キャー朔姫様やっぱり人気ー!」とかって黄色い声をあげたり。ただの腐男子やないかおれは。
それでも、この第3作品をプレイして、まず思ったのが、「同人であんま規模でかくない言葉遊戯の制作環境だとこりゃあ時間かかるわ」と思ったものでした。そーび氏がプライベートでいろいろ忙しかったというのもありますが。
なんでか。これは結構簡単に推測できて。
「素材が多い」
というのも、プレイしてもらえればわかると思いますが、黒百合は丁寧な作品です。舞台を設定するために、背景CGを大盤振る舞いでじゃんじゃん使います。それこそワンカットシーンの描写であっても。
さらに。こっちのほうがより問題なのかもしれませんが「新規立ち絵の種類も多い」
何回もコス……もとい、物語上理由のある「着せ替え」をさせてます。姫×絹カプは。確かに、超絶の破壊力がありました。
夜着から、まず絹をきちんとした格好にさせて。さらにそこからお互いの洋装をカマしてきた時点でおれは「ゴファッ!」と百合の吐血をしたね!
そして朔姫男装×町娘絹。しかも絹にはヴェールのように衣をかぶせ。その上で誰もが見惚れるような朔姫様の男装ですよ……。もはやこの「カリスマ攻」が、男装して王子様度合いをググっと上げるのは百合の様式美のようなもんですが、しかし……破壊力はデカかった!
しかも、こうしてみるととんでもなくそーび氏の和装コスプレフェティッシュな「作為なシチュ展開」と見えそうなものですが、実際プレイしてると「そんなに作為的でもないなぁ」って思えるのだから恐ろしい。そーび……恐ろしい子!(んなこたぁファンのひとはみんな知ってますね)
……何が恐ろしいって、つまりは、こんだけの好き勝手な素材仕様。
要するにこれは
「そーび氏がやりたいように新キャラ、新カプと、黒百合if戦国世界観を展開したいから」
と言うことです。わたしにはそう見えてやまない。
いえ、それは全然悪いどころか、むしろむしろ「これこそ同人ゲームの正当な作り方よ!」と拍手喝采したいほどです。
同人……それは、好きなように、好きなものを創る。その原理で成り立っています。改めて言わずとも、ですが、なんか最近、マネタイズだとか市場原理だとかマーケティングだとかで、「広める・売れる」って方面の言説が、5年前よりずーっと聞かれています。同人なのに。同人の生産力の効率化、みたいな路線でしょか? あるいはプロへの階段ステップ。
「悪」とまでは言わないけども。言えるハズがない。それでも……ある程度「同人の自由さ」を自分から放り投げてるような気がするのです。
じゃ我らが言葉遊戯は5年間かけて何をしてたかっていうと、簡単で「自分のやりたいことを表現するための素材」をずーっと作ってた、っていうことです。
ノベルゲームにおいて、素材はあるだけあったほうがいい。素材のクオリティ上げもですが、同時に素材の量をガン集めするのも、クオリティにつながります。なぜなら、いっぱいの素材があるということは、それだけノベルゲーム的「使い回し」をしなくてすむということです。
たとえば、家屋の「縁側」ということを考えてみましょう。この縁側にしたって、実は第一作の「織田家の縁側」を使い回していいっていうものでもあります。色調補正とかすれば。ところが本作は、ちゃんと新規背景を持ってきてる。
それだけそーび氏は自分の脳内ビジュアルをしっかり構築していて、ゲーム上に展開したい、っていうことでもありますし。また、作品1プロダクツとしての「黒百合」を、なるたけリッチなものにしたい、ということでもあります。
要するに「グラフィック面でのビンボー臭さ」を出したくないのでは?ということです。
もちろん、同人だから限界はあるけども、それでも同人であってもこれだけの素材収集&ブラッシュアップにつとめたそーび氏の5年間の努力っていうのは、確かに年月を重ねる理由があったのだ、と推測します。そしてその丁寧な「ビンボー臭さの排除」は、即座に朔姫様のカリスマを裏切らない……! 出てくる少女令嬢たちの可愛さと高貴さを裏切らない……!
●アトラク=ナクアの正当後継者
アトラクの正当後継者ってどういうことなの? と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
これは「全体的なアトモスフィアな感じ、世界観や心情描写やエロ描写の容赦のなさが、アトラクを彷彿とさせてやまない」というもので。
改めて言いますが、残響はアトラクが大好きです。えろすけ100点殿堂入りです。それだけ好きです。
なんといっても、初音姉様とかなこのカプですね。自分はこれにヤラれました。この二人の織りなす風景……それがダークであっても、日常の優しげな風景であっても、とにかく見ていたい。この二人の会話と関係性を見ていたい。それはすなわちカプ観測であります。
なぜそれほど初音姉様に惹かれたのか。一言で表現するなら「カリスマ」です。
さて我らが朔姫様のことを語りますが、この姫はわがままで驕慢。タカビーなんて領域ではない。(タカビーって死語ですかね?)
なぜそんな朔姫様を嫌いになれないか、っていうと、ひとえに伝わってくるのですよ……美貌とともにある圧倒的才気、カリスマ! 格好いい! 知性・才気・実行力・策士ぶりに裏打ちされた主人公としての圧倒的風格! 朔姫が動けば物語は動く! この能動性は、読者を納得させます。
ふと思うのですが、皆さんは朔姫に感情移入(一人称没入・憑依)しますか?
ようするに、自分はいつものごとく百合者として「カプ観測」=「神の視点から朔姫と令嬢たちのカプを、シチュごとに三人称視点で眺める」というやりかたで百合ゲーをたのしんでるわけなんですが。しかし「主人公に感情移入して、一人称的な、没入プレイをする」っていうのもあるのではないか、と思います。俺が朔姫だ!みたいな。
ぼくはそういうプレイを全然しないのですが、しかしそういうプレイで黒百合をやってる方がいたとしても、全然不思議ではないし、朔姫様のカリスマと実行力は、まさに没入・憑依の対象としての主人公な価値はある、と思うのです。朔姫、まず思うのが「かわいい!」ではなく「かっこいい!」ではないでしょうか。傲岸不遜でやりたいようにやる。ってここまで書くとなんだかランス君みたいですね……。
しかし朔姫には弱点があって……まあそれは、次移行の項で移しましょう。
どこがアトラクなのか。まず朔姫様×柚々というこの二人だけでもうアトラクだよ、オアーーーー!オアーーーー!天竺はここにあったのだーーー!初手からまずは「お姉様と妹的存在」のたおやかで優しい光がふわっと縁側でやさしく、これはまさに初音姉様とかなこの「お弁当」のシーンと同質の破壊力(デストロイ)! うつくしい、なんと美しい姉妹愛か……。もちろん「疑似」ではありますが、この疑似姉妹の関係性を百合の先達はエスといいスールといい、褒め称え尊いとしてきたのですよ!ああ、くそ、涙出てきた。
そのような日常のやさしさを側にたたえ、しかし物語の本筋は「情欲」や「戦国」といった、種々に入り乱れる人間のオモワクが権謀術数するダークな人間模様の世界観。
日の光のおだやかに憧れながらも、しかし自分の情欲は闇の中にしかあり得ないという。アイキャッチで「戦国の黒百合」というのが黒い背景で浮かび上がりますが、ここで文字が妖しいピンク色で彩られているのは、まさにロゴデザインからして「白い百合ではない」という、精神性を表してならない。これは情欲なんだと。どんどん闇に染まっていく物語なんだと。このダークな精神性ーーこれだけ和でありながら、「ゴシック」と呼んでしまいたいほどですーーをもって、「戦国の黒百合」というタイトルは、タイトル負けなんて全然していない。意味があるのです。黒い百合、というアイロニーには。わたしが日々のイチャラブ百合を愛しながらも、この作品を手にとってしまうのは、その精神性の高さゆえ。そしてそーび氏の濃密な筆致。
そして。
ふたなり。
●朔姫様小論ーー理由のあるカリスマ攻のちんこ
なぜ朔姫はふたなりにならねばならんかったか。「男性」になる必要があったのか?
違う、とわたしは主張します。朔姫の汚らわしいちんこは、決して「朔姫の男性化」というものでは「ない」と思います。なぜか。
ここで「攻」と「男性」性についての議論を深めてみます。
攻とはリードであります。のっけから弱くなってはいけない。しかし、どこまで攻とは「男性性」とイコールで結んでしまっていいのか。
ーーちがうぞ、とわたしは言いたいです。「攻」「受」とはキャラがよりキャラとしてカプ、シチュの中で生きるための役割配置なのであります。ホントにわたしの敵なのは「男だから攻にならなくてはならない」とか「攻は男であるべきだ」というジェンダー論。こっちにいっても仕方が無いと思うのです。
百合において「男性」性が求められるのは、あくまでロールとしての役割の味わい、が必要なんであって。
だから「攻」=「男性的」ではない。リードするキャラが、いわゆる「男性」性の中の要素をうまく使ってくれて、受けをメロリンチョにさせてしまえばそれでいいのであります。
「そんなアンバランスな関係性!」なんて言うジェンダー論者には「馬鹿野郎!カプの攻受なんてアンバランスでなくて何の意味があるんだ!」と切り捨てます。
さて、議論が脇道にそれましたが、本筋に戻して。朔姫のちんこは薬で「生えた」ものであって、これがその後の話の本筋となります。
で、朔姫様にとってちんことは比喩でも象徴でもなく、実際に生えたもの。ところが、この生えたもので令嬢たちを陵辱するとき、姫様は自分のちんこに疑問をもっていませんビヤァアアアンビヤァアアァアアン(あのBGM)
そう、朔姫様の本質はこの「犯ってやるです!」な能動性。己の情欲に素直な精神。それゆえに彼女はやりたいことのために策を練り、状況を利用する!
本第3作において、絹という令嬢を犯しますが、絹1stHシーンにおいて切れ長の瞳で犯すときの朔姫様は「戻ってきたぞー!おれたちの朔姫様が!」という感動ものでしたね。話の最初で蔓に「処理」してもらってるときの朔姫様の「辛い……疲れた……」というのは、やはり朔姫様無双伝説として違うわけですよ。たまには弱った朔姫様もいいですが、しかし本腰を入れて攻める時の朔姫様の容赦なさはまさに戦国の黒百合!闇は黒いからこそ闇なのであって、深まり行く情欲は言葉を遊戯としてしか使わない、ああ戦国の黒百合!(今何も考えずに打鍵してます)
やはりこの強力なキャラとしての朔姫様。それが黒百合の魅力であります。
●絹ーー不安定な受は見つめない
どうもね。朔×絹カプにおいて気に掛かったのが、絹が「朔姫様をじっと見つめてはいない」っていうとこで。
王子様(男装)として「キャー!」なトキメキだったり、王子様(救い手)として「ありがとうございます……!」な崇敬だったりはあるのですが、実際「じっと絹が見つめているのは朔ではないのでは」という感じがプレイしていてしてました。
単純に、1stえちシーンにおいて、お互いの視線の先がちょいズレてるのですね。我らが朔姫様は「犯ってやるです!」の切れ長瞳でまっすぐ射貫いていますが、絹は情欲にトランスしていて「もっとぉ、もっとぉ」っていう、どこかうつろなイキ瞳。町中でのまぐわいのときもそうだった。
もっと顕著なのが、バッドエンドにおける「もっとしましょうよぅ」な感じでヤンデレ攻(クレイジーサイコヤンデレズ)と化した絹。いやエロいのはよろしいのでございますが、こうなってしまって墜ちた朔姫様にあられましては、もう絹を見つめてはいなく。
やっぱね、百合はお互いの瞳を見つめ合って、「誰も触れない二人だけの国」ですよ! 柚々との世界があれほど印象的だったのは、これがあってのことですよ。
でも、このカプって(まああやめの存在もあって)そういう「二人だけの国」っていう方向性にはなってない。
悪い、というのではないです。また、あまりに絹と「二人だけの国」が完成しきっていたら、その後のシナリオが「動かせない」ものになっていたかもしれませんし。
●忍ふたりが中心となってif戦国シナリオドライブ&ギャグ
となると、ここにきてシナリオがディープに「先へ!」の感じになってきましたが。忍の二人が、このシナリオを進めていく立場になったこの作品ですが。
(それにしても令嬢スキー姫様、よく聞こえましたよね、忍でようやっと聞こえるくらいの蔵からの声)
先を読みたくなる、ミステリ仕立て(謎→少しの解決→謎)の話となってきました。ただのキャッキャウフフではない……
ときに、この作品、けっこうギャグも多いのです。それもかなり面白い。もちろんのこと朔×絹のコスプレ合戦にはコメディとしても良く、百合シチュとしても、エロシチュとしても大変おいしく。ギャグでさえカリスマか……!(男装のとこはやっぱお約束でもおいしいものはおいしいんですよぅ!と
棘が中心となっての「あたしに手を出して!」のテンプレもまた面白かったですし。やっぱり、始終ダークばっかりだと疲れますしw
●墜ちていく物語であっても
確かに、この第3作は「墜ちていく」というのが一つのモチーフとなっていきます。安らぎを得ても、それはいつか失われるもの。というか安らいでよくもないし……という。
そう、黒百合の精神性とは、「朔姫様かっこいー!」だけでは語りきれない、朔姫様の弱さについても濃密に描くからこそ、面白い……!
しかし考えれば、今作、その「墜ちる」という点についてだけ言えば、展開的に「地味」と言えるのかもしれません。基本「密室芸」な黒百合でした。とくに第2作。
でも、本作はあんまり……ロードムービー感がしないのですね。もちろん、朔姫は「逃げ」ていたから、ですが、それでも「旅物語」の要素は薄い。
結局のところ、朔姫様にとっての旅は、宿場町をどうこうする旅ではなくて、己の情欲、陰茎、ままならぬ戦国の状況、そして思い人、という、様々な「ままならぬもの」を巡っての精神を落ち着けようとする試み……精神の旅、のようなところがあると思うのです。
アトラクだって、方丈記の「ゆくかわのながれはたえずして……」の無常感を全面に出していました。その精神性と通底するところがある。無常。変化していくこと……というのは、えびさんがレビューで「それこそがシリーズのテーマである」と論じておられます。アトラク信者たる自分がそれを引き継いで述べると、以上のようになります。
また、以上のような「墜ちる中での変化」という地味な題材(ロードムービー的ドキムネ感もないのです!)であるにも関わらず、この物語の先を先を、と読みたくなる、これはまさにそーび氏の筆致の賜ですし、76421さんもそこを鋭く指摘されています。
ところで、きゃるんさんは、百合ゲーの母数の少なさと、さらに黒百合のような「非ソフト百合」はさらに希少価値が高い、と述べておられます。状況分析としてまさに正確。
これをちょっと補うとしたら「バランスの良い百合ゲー」というのは、なかなか難しいのだな、と思います。ジャンルこそイチャラブでありますが、少女の繊細な機微を真っ向から描く「きみはね」にしても、なかなか現時点で制作が難航してるようですし。また、J-MENT氏の期待作「ことのはアムリラート」にしても、「百合」と「エスペラント語翻訳」という、二つのマイナーテーマ(ジャンル)でいこうとしています。
なぜ百合は安易に行けないのか。「キャッキャうふふ」を描けばいいだけではないのか?
ないのです。ふぐり屋にしろ、りりくるにしろ、ある意味「退路を断って」の作品作り精神が見受けられます。「フレームアームズガール」のアニメが標榜する「きゃっきゃうふふ」にしたって、それを実現するためには、骨太で真摯な意気込みこそが求められます。
わたしは、かつて「コンセプトを達成しない百合シチュ&百合カプは、最終的には失敗に終わる」と書きました。えーと、たしか「きみはね」のとこでだったかな。
百合は思考実験のフシが見受けられることはあります。だって日がなシチュ論ばっかり言ってますしねえ、我々。でも、真に必要なのは「実際に見せられた物語」なんです。
「百合にちんこ生やしてふたなりにしてみよう」っていうことは、よく言われます。でも、そのコンセプトをどこまでも追求して、一つの作品にまでするのは、そうそうありませんでした。
黒百合がなんで素晴らしいかというと、「コンセプトを物語の上で、キャラ描写の上で達成しきっている」からこそです。逆に言えば「ふたなりなくして黒百合なし!」と、このイチャラブ百合ゲーマー残響をして、断言せしめるほどであるからこそ、黒百合は「ふたなり百合」というジャンルでもって、正々堂々とダーク百合の剛速球ストレート三振を持って行きました。
そう、実例こそがすべて。
なら、百合ゲーを愛するならば、その実例を与えてくれた制作者、そしてカプに対して、「おれはこうやって観測して萌えたんだぜ!」を表明して、今日も百合界隈は賑わっていくのではないでしょうか。
そう、そうして、百合は続いていく。少女二人いるかぎり……いつまでも、どこまでも。
だからこそ、百合は終わらない、止まらない……たまらない!!
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2017/07/23現在までのエロゲー批評空間の各作品長文感想に影響を受けて、この感想を書きました。
以下に列記させて頂いて、レビュアーの皆様には深謝申し上げます。
えびさんの感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=22988&uid=%E3%81%88%E3%81%B3
76421さんの感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=22988&uid=76421
きゃるんさんの感想
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=22988&uid=%E3%81%8D%E3%82%83%E3%82%8B%E3%82%93