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残響さんのDRACU-RIOT!の長文感想

ユーザー
残響
ゲーム
DRACU-RIOT!
ブランド
ゆずソフト
得点
80
参照数
580

一言コメント

都市設定のアダルトさが、いかにして漂白・脱臼されたか。それは作品の意気込みだけでなく、業界のジャンルコードにも抵触しているものなのだけど、個人的には美羽のめんどくささはそれとはまたジャンルを別にしてたいそうめんどくせえイチャラブでござるのです。さあ、アダルトイチャラブの明日はどっちだ!

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

今作のメインヒロインの美羽とはとてもめんどくさい女性であります。
そしてアクアエデンという都市が、作品描写において中途半端であります。

この「個人のめんどくささ」と「都市のめんどくささ」が、表面上はマッチしているようで、根底においてはマッチしていないところが今作の地味にして結構ドギツめのウィークポイントではないでしょうか。では語ってみることにします。

なお、今回の感想は「当時のプレイした思い出」を、記憶を頼りにして振り返る式で書いておりますので、具体的な細部の言及は控えめです。そういうのは他のレビュアー諸氏の方々にまかせて……


・アクアエデンの設定

この「カジノあり、風俗あり」の治外法権的特区、という都市設定。
このドラクリが描こうとしたアクアエデン的ふいんきを以降の文章において、「アダルト」と表現します。
仮にこれをシナリオゲー的観点からみたら、これをぐっとアダルトな舞台仕立てとして活用することにより、アダルトな華やかさなエロゲになる。もしくは、人間の酸いも甘いもかみ締めた、渋みある物語になる。……シナリオゲー観点から見たら、です。実際、シナリオゲーマーの方にそのような指摘をされました、わたくし残響。
ですが、こちらは萌えゲー。

本作は、或る意味での実験作、というふうに捉えることも出来るでしょう。
アダルトな設定を持ち込みつつ、一般萌えゲーとしての萌え萌え機能性をアダルト=ダーティ・エロス・パワーでブーストする、という。発想はとてもクレバーで、快楽原則にのっとっています。

が、実験作であろうとも、エンターテイメントである以上、「結果」が伴わないといけません。ようはおもろくなくてはいけない、ということ。
この「おもろい」が、少々ミソとなってくるのですが、さて「萌えゲー、イチャラブゲーの面白さ」とは何か。

現時点(2016年)での王道萌え・イチャラブゲーでの最適解のひとつとして、「ノーストレス」ということがあげられます。プレイヤーに余計なストレスを与えるのを徹底的に排除する、という。そのうえで、「萌えゲー、イチャラブゲー」としての面白さを追求していく……というより、この「ストレスの排除性」がイチャラブの「土台」となっているところがあります。

簡単にたとえれば、イチャラブはよく「ケーキ」とたとえられますが、この「ノーストレス」というのは、ケーキにおける「スポンジ」と捉えることが可能でしょう。さすがにケーキの土台にマグロを持ち込んではならぬ。いくら築地のトロマグロであっても。
ふわっふわしたスポンジでなければならない。萌えを、イチャラブを語るにおいては。
だが、ここで一つの問題が発生するわけです。そのような土台は「ふわっふわ」以外のものであってはならないのか、と。トロマグロを土台にすることで、よりいっそうの炸裂爆発力がもとらされないか、と。

今作ドラクリは、このあたりの「ふわっふわが席巻している状況に対する”攻め”」に、ある部分では挑戦し、ある部分では腰が引けているものだ、ということができます。ただしそれは、メーカ側の意志の貫徹のなさ、だけに起因するものでなく、現在エロゲ業界を支配しているジャンルコードにも起因しているもの、といえましょう。

さて、「アダルトな要素を果敢に持ち込むこと」が、どうして「萌え・イチャラブに抵触するのか」について、さらに考察します。
まーぶっちゃけ、おおよそ二つに分けられます。
「レイプ可能性」

「風俗可能性」
です。

萌えもえなヒロインが、なんかバトった際において、その結果としてレイプされる可能性が「ある」ってだけで、萎える。
あるいは、作品シナリオ中で、金銭のトラブルなんかがあったとして、その結果として風俗関係に手を出すという可能性が「ある」ってだけで、萎える。

このような思考……というか想像シークエンスが働くのが、すでに萌えゲーマにとっては「ストレス」になります。

「可能性の領域じゃないか、実際のゲームをプレイしてから話しをしろよ!」というのは、シナリオゲーマーの意見でしょうが、萌えゲーマーにとっては……というか急進的イチャラブゲーマーとか、処女厨にとっては、この「可能性」は怖い。いつ自分の愛するヒロインが、変な方向に堕ちていってしまうのか、がキツい。

これはエロゲのみならず、ライトノベルや漫画においても見受けられる現象です。
「そこまでギリギリな状況にヒロインを立たせておきながら、結局キレイなままかよ!」という感じ。
もちろん、「堕とす」方向に作劇を行かせると、それは現行の「萌え」ジャンルコードから逸脱する、というのは皆様お分かりのとおり。「だから萌えジャンルコードはいかんのだ!」とか、「いややっぱりなんだかかんだでこの萌えジャンルコードは必須だろ……」とか、まあ議論はいろいろあっていいと思います。ぼくは後者の立場をとりますが。

で、ドラクリの話し。
これまで書いてきたことを踏まえると、この作品が「萌えゲー」でありながら、アダルト設定を取り入れていくことにより、実はマージナル(中間的)な存在であることになってく……というふうに、ぼくは言いたいのです。

そんで、なんでこのことがエロゲ界隈で評価されてないか。
「アダルト・エロゲ」(イミフな表現だな……)とか、「セクシャル・エロゲ」(これもまたイミフだな)とかっていうふうに、その実験性を称えられていないか。
単純な話し、成功していないからですな。身もふたもなくいえば。

ジャンルの面白さとは、なかなかに興味深いものであって。
そのジャンルの「お約束」をいかに遵守しつつ、いかに逸脱するか、というのが永遠のテーマです。
ただその「お約束」は、年代によって、いくらかの微妙な「濃度が濃くなっていく」というのがあります。簡単にいえば、ジャンルお約束に、ジャンルが雁字搦めになっていく、ということです。これはよく言われるのが、ミステリやSFですね。

「だからジャンルのお約束は無意味なんだ!」とする立場(ラディカリスト)。
「いや、ジャンルのお約束の煮詰めが足りないんだ!」とする立場(これもまたラディカリスト)
「ジャンルに新たな要素を付け加えればいいんだ!」とする立場(折衷派)

さて、ドラクリは、わたしの見立てでは「折衷派」に属すると思います。
ただし、もともとの出自である「萌えゲー」のジャンルコードをかたくなに遵守したまま。

この遵守は、萌えゲーメーカとしてのゆずソフトにとって、どうしても離れてはならないものだったのでしょう。
天神乱漫以降のゆずは、この萌えゲージャンルコードを完全に遵守する形で、評価を伸ばしてきました。

「そこから逸脱すればいいじゃないか!」
というのは、わたしからしてみたら、ゆずに対して酷な標語に見えてしまいます。
これはわたしの仮説ですが、エロゲメーカにおいて、ひとつのメーカ(ライン)は、ひとつのエロゲ目標しか、基本的には達成できないのではないか、というものです。
二兎を追うもの一兎も得ず、という言葉通り……この場合は、意気込みとか以前にも、金銭的リソースも絡んでくる総合的問題ですが、ともかく、「包括的・全体的に各方面を同時にブレイクスルーできるような、複数の仕掛けを持つエロゲ」を作ることは、意気込み的にも、資本的にも、キツかろう、ということです。
そもそも、ひとつのジャンルを極めることだけでさえ、大事業ですから。

では。
ここで問題は「では……」の領域になってきます。
それまで確立してきた萌えゲージャンルコード内でのゆず、というメーカがとりうる実験とは? それまでの実績を灰燼に帰すことなく、これからの発展を目論むことの出来る、建設的破壊にして発展は?
そこで「アダルト」を取り入れる、ということです。
これまでの、萌えゲー的にやや強めのエロを、作品設定において強化すること。それ即ち、キャラがとりうるエロというものも強化することになる。クレバーな処理といえるでしょう。
ただし。
ここにおいて問題が生じるとすれば、先に述べた「レイプ可能性」「風俗可能性」がどうしたって首をもたげるということです。アダルトを取り入れる、ということは。

そこでドラクリがとった解決策とは、
「レイプ可能性も、風俗可能性も、ぜーんぶなくしてしまう」
というものです。

或る意味で、「え、それってアダルト設定いらなくね?」といっちまうことが可能です。或る意味どころじゃねえな、実際わたしも、先のシナリオゲーマーの方にそういわれましたし。

この
「レイプ可能性も、風俗可能性も、ぜーんぶなくしてしまう」
は、言い換えれば
「ヒロインが危険な場面になっても、それは全部茶番っぽいシーンにしかならん」
ということです。

「まあそれもひとつの作品の形じゃね?」
という方もいらっしゃるでしょう。ただそれは、「キャラのシリアスさの真実性」と「シナリオのシリアスさの真実性」を棄却することとなるのです。簡単な道理です。
本作ドラクリのシリアスパートの残念さは、このあたりで説明がつきます。ドラクリは、そもそもシリアスが「出来ない」のです。

このように、アクアエデンという舞台設定は、見事に萌え的に漂白された「アダルト」となりました。
わたしは、この作品の背景アートとか、音楽とかは高く評価しているのですが、そもそもこのように根底が「アダルトww」である以上、そのアダルト性都市のマジさを、礼賛することは出来ないのです。

さらにいえば、このことは、アクアエデンの「細部をじっくり描く」ことの放棄にも繋がってきます。
わたしから見て、アクアエデンが「なんか猥雑なふいんきを持った都市」っていうことはわかりましたが、実際、その猥雑さが「匂いたって、手でとれるような猥雑さ」でなかったことが残念なのです。
エロゲは、絵と文と音楽で成り立ちますが、この「猥雑さ」は、とにかく細部を詰めに詰めていけばこそ、匂いたつものです。……別にゆずの筆力が、そういうものを描ききれない、とはいいません。これほどのトップメーカが、一つの都市の造形描写を出来ないはずがありません。
ただし、そもそもの都市描写哲学において、リミッターがかけられていなければ、の話しです。そう、細部をじっくり「描けない」のです。そうすればそうするほど、アダルトシティとしての「闇」がでてきて、キャラたちがキャッキャウフフできなくなるからです。

「猥雑な都市の中で、危険と隣り合わせのなかでも、キャッキャウフフする主人公とヒロイン」
……ドラクリを求めたひとのなかで、このあたりに「キュン」とした人もいたことでしょう。
ですがそれは、かなわぬ夢でした。

マージナルなエロゲ。実験的なエロゲ。
ですがそれでも、本作は一定数の支持を得ました。それは、やはりキャラメイキングに尽きる、といってもいいでしょう。


・めんどくせえ女、美羽

もし今作の「アダルト」要素が上手くかみ合ってるパターンのヒロインをいうとすれば、エリナではなく、美羽だ、とわたしは思います。
萌えゲー・ドラクリにおいて、エリナの処女設定は……これってどうなんでしょうね?
今になって思えば、少々「ビッチヒロイン」がひとりやふたり、いてもいいとは思うんですよ。

或る意味で、それは「主人公側の、ヒロインを食う自由」にリミッターがかけられている、中途半端なもの、ということができます。もっとえろえろに、好きなようにヒロインを食い散らかす自由めいたもの。それは、アダルト設定ゆえに、できるものだ、といえます。だから、その自由の翼を、自分からもぎにいったというか。

で、美羽。
いやー、めんどくさい。実にめんどくさい。
美羽のめんどくささは、このような雁字搦めのドラクリにおいて、「心理的には」その枷を、少しだけ逸脱しようとしているところがあり、その点をよーく見てみれば、さすがメインヒロインというか、こんなめんどくせえメインヒロインでいいのかというか。

心理的には、というたのは、まあ主人公と美羽が「実際にやってること」は、それほどアダルトでもダーティでもないわけです。
ただし、いちいち美羽がしつこく主人公のことを、ねちねち「本当? それ本当?」みたいな感じで、しつこく迫る。

信用してない、とかいうことではなくて、自身のなさの現れなのですが、それをあのツリ目で華やかなルックスでされるものですから、ああめんどくさい。とくに髪の長さ。作中でも言及されてるように、とっても美羽は髪の毛が長いのですが、それがいかにも怨念を表しているようで。
自分自身、作中で最期のほうで「痛い女」呼ばわりしてますからね、じぶんで。

そう、美羽のよさというのは、主人公とバディ的に信頼関係を結んでおきながら、いちいちヘタレて「びみょーな逆ギレめいたしつこさ」をかますものです。
主人公とのカプを観測してる側(わたし)からしてみたら、「ああ……お互いが独占しあってる……依存傾向にある……!」と、イチャラブの夜明けじゃぁ~!と大変嬉しくなるのです。

ああ、バトルに関してですか? 茶番ですよ。


・総論

アダルトな設定を、表面的にだけ留めること、は、エロゲの発展に繋がるかどうか?
そりゃ、やらない善よりやる偽善、ってことばもありますが(ひでえ)、このドラクリの或る程度の生ぬるい立ち居地というのは、反面教師とするには、いくつか分割して物事を考えなくてはならんと思うのです。

(1)萌えゲージャンルコードの遵守
(2)アダルトの危険可能性
(3)作品世界観・キャラの最終目的

で、わたしとしては……別にここでエロゲの未来を占う、ってことはしません(できません)が、では「ドラクリのような方向性をもった作品が、この先生まれにくくなる」というのは、やっぱり「アダルトもありの、自由な表現ジャンル、エロゲ」としては、実に硬っくるしい未来・世界線だといわざるをえません。

きれいごとをいえば、(3)作品世界観・キャラの最終目的……例えば、猥雑な世界を描ききる、とか、危険を冒してもキャラが猥雑な世界で生き抜く、とか、を最初に設定してから、遡るような形で、(1)も(2)も処理していく、というのが、正統的な物語作劇です。

ドラクリの場合、これを逆にしてしまったから……ようは(1)萌えゲージャンル、で、(2)アダルトを表現してみよう! っていうふうな段取りになっていたから、こういうことになってしまったのではないか、と思うのです。

ではどうすればいいか?
まあこの先5年くらいは、まだアダルトの危険性(レイプ、風俗)をイチャラブ、萌えゲーに持ち込むのは、アナルタバスコ並みの危険度といえるでしょう。
だったらシリアスゲーに舵をとって、シリアスの中でイチャラブを表現するか?ある程度のイチャラブの減じることは覚悟のうえで? それもひとつの解でしょう。……というか、現実的な話しをすれば、それが唯一の手段かもしれません。

ただ、個人的には、美羽のような「めんどくさい」女……少女、というより「女」のイチャラブを見たい、という気持ちがあります。
そこを、アダルト設定の危険性とどう距離を置きながら、しかし踏み込んでいくか。

このあたり、まだ結論は出ません。
ただ、安易な折衷案では、作品が……いや、もっといえば、本来大事にしたいはずの「世界観」が、脱臼・漂白されてしまう危険性がある、ということはいえます。本作は、その意味で、反面教師だといえるでしょう。



(……この話、「働くオトナの恋愛事情」でやってもいいのかもしれませんが、あいにく未プレイで……)