すべてにおいて傑作。星の約束は永遠にして、人の憧憬と執念も永遠である。あとギャグがくどい(2015/7/17、「夢ルートに見る、ひとの勇気と輝き」を、Ver.2.0として追記しました)
(2013年10月に書いた、第一稿としての、星メモ感想「Ver.1」)
すべてにおいて傑作。それが星メモ。
たしかに主人公のオブセッションはひどい(もっともすべての人物のオブセッションもひどい)。
ギャグも天丼がくどすぎる
シナリオが長い。
最高のお姉ちゃんヒロインがでてくるのが、ラストで、しかもその際に某ヒロインを踏み台にする、というのもアレ。
原画は……ある意味、癖があるのかな? わたしは、司田と氷山チーフの原画&塗りは、評価しまくりだが。
エーロスが薄い、少ない、といわれても、否定はできない。
だがそんな減点法野郎のたわごとにはつきあってられねえ。
この作品は、鍵ゲーの【約束】のモチーフや風景感を、この上なくクリアに描写しながら、同時に、変な比較だが、水月的なスキのなさまで見受けられる。
水月ってスキありすぎじゃん? って思ったあなた、わたしと今度お茶しましょう。
でも……たとえば雪さん。あの造形は、完璧さと「ある種の抜けさ」が相まって、最終的には完璧なメイド造形になったじゃないですか。
おなじことが、水月という作品のトータル構成にあります。
すべてを説明するのではなく、アトモスフィアでしかにおわせられないところに託す【勇気】。
それは、確かに、完成度が低く見受けられるかもしれないけど、別の見方でいったら、「物語の解放性」とみたら、これもこれで完成度なのです。
ひるがえって星メモ。
完成度……そういった意味で、高い。
「スキ」すら、武器にする。
冷静に検討してみれば、矛盾がいくらも見受けられるでしょう、星メモの設定は。
しかし、洋君と夢が約束した、永遠なる憧憬は、幼なじみというファクターを越えて、
【もう取り替えない、戻ることのできないものを、どうにかして……!】
という、あまりに切実な思いが、詩的にも表現されているではありませんか。
設定の不備など、この芸術的高みにおいては……!
……ああ、あと。
これだけは、なにがなんでもいっておきたい。
夢なんですがね、
彼女なんですがね、
わたしの……数年ぶりの伝道いりヒロインなんすよ。
だから、なにがあっても、この作品って、点が高くなるんすよね(ここまでの論だいなし)
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(ここから、2015年7月に書いた、第2稿としての、星メモ感想「Ver.2.0」)
……という感想を、以前書いたのでした。これは2013年の10/11に書いたもので、このころって自分このえろすけさん初心者(書くほうは)で、自分のレビュースタイルというのもまだ確立してなかったときでした。
しかしこの作品、大変に俺の魂の作品でして、そんなのをこんな簡単に語っていいのか、という思いもあり。
というわけで、アップデート版を書きます。ここからは感想2.0verだっ。
自分はこの作品をすべてにおいて傑作、と書きました。それは大雑把に分割すると、
・透明度の高いフェイバリットグラフィック
・キャラ萌えとシナリオの高次元の融合
・音楽、演出などのトータル総合作品力
……ただこれはひとことで説明つくんですよ。「世界観」。そう、(たぶん)小樽の町をイメージした「現実でありながら、ちょっと現実とズレてる」片田舎の町を舞台にした幻想物語……。
星メモについて語られる際において、ヘイトが集まるときにたいてい「リアリティがねえじゃないか!」というのがあります。ただこれって、ちょっと論点がずれてるようで合ってる、微妙なとこなんです。
というのも、この物語の面々は皆オブセッションを抱えながら、そのオブセッションの契機であるとか、解決であるとかが、全部幻想・伝奇・ご都合主義で解決される、って傾向にあるからです。
それは幻想物語であれば、筋としては正しい。ただ、リアリズム文脈でいえば、あまりに「シュール要素、ファンタジアをご都合主義に使っているプロットの安易さ」といえなくもない。このあたり、村上春樹の文学を語る際の「シュール系話×リアリズム系話」の対立、と似ていなくもないです。前者を好むひとは、村上のリアリズム的要素を嫌い、後者を嫌うひとは、村上のシュール系要素を嫌う、みたいな。
ただまあ……だからこそ、この物語を読む際には、どこかで「見切り」が必要なのかもしれません。「リアリズム」で見るか、「幻想」でみるか。そのキーポイントは、そう、「星」。タイトルにもあるように、この物語は「星」「星空」に託した、思い出(メモリア)の物語。 必然的に、「過去の問題の解決」を超次元、メタフォリカルな方面での解決、にならざるを得ない。
星メモを語るにおいて、一番やっかいなのはここです。結局こさめさんはこの世界においてどういう存在に「落ち着いた」のか。結局メアは芽愛として転生するにいたって、どういう回路を正式に踏むのか。衣鈴はなんだかんだでオーストラリア行ったけど、その間はどうだったのか。
そもそも……これらは物語の「終わり」の部分ですが、それまでの「終わりにいたる過程」は、ロジカルではない……。いや、ロジカルではない、というよりは、むしろ「説明不足が多い」「描写があやふやである」ということがいえると思います。
それを「幻想物語だからいいのだ」の論法を使うのは、僕も好きではありません。ただ、原則傾向として「ファンタジックな解決、美的解決を善し、としないと、この物語は結構消化不良になる」といえます。
まあひとのことはともかく、自分がどう思うか、ですね。ここで書くべきは。
自分は……自分は、洋君とヒロインたちがとった解決すべてを、肯定します。肯定させられるだけのパワーが、この作品には、あった。
それは夏の物語。星が一番煌くとき。同時に、年若きものたちが輝くとき。作品違いますが、ライアーの「黄雷のガクトゥーン」がなぜ「what a shining braves」を標榜しているか。
若きものたちは、自然と輝きとともに勇気を持っているのです。勇気あるからこその輝き、輝きあるからこその勇気……
思えば、この物語の「大人ども」は、皆いいひとでありますが、「勇気」を、どっかで落としてきたひとたちであります。だーめにーんげんー。くすくす、と笑われてもしかたねえ。
その苦さをかみしめることが大人になるってことだよ、少年……とかっていきがっていたいひとは、一生いってろ。どこかで人間、この「勇気」を取り戻さねばならないのであります……。まあ星メモにおいては、最大のダメ大人の親父はやっと「EH」でケジメつけたわけですが……。
もっとも、「勇気の欠如の苦さ」あってこそ、この「大人組」は魅力を放つ、といえば、それはそうだ、といえます。名脇役としての面々。それは確かだ。
ソレと同時に、ある「勇気」が欠如していたら、この物語の主人公たちはまた、人生のある過程において、さらに「輝き」をずるずると落としていってしまう人間たちであるといえましょう……。
具体的にいいます。俺の魂たる乙津夢のことだ。
結局洋君が救わなかったら、夢は「かつての約束」「かつての夢(結婚)」もぜーんぶ捨てて、死んでいくだけの存在です。
ただこの物語の夢ルートを、さんざっぱら苦労してルートロック解除してみた皆さんはご存知ですね。この夢というお嬢さんは、すげえテクニックを弄して洋君を「欺瞞の幸せ」に導こうという善性、を持っています。そういうプロットです。とにかく自分のことは忘れて幸せになって、と。
実をいうとね、ぼくもその手の言葉を言ったことがあるんです。詳しい経緯はあんまりハズいんで隠しますが、「相手から忘れてほしい」と願ったことがあります。
夢の気持ちはわからんでもない。だから。自分という存在を「きれいなまま結実させて、相手にとどめておいてもらいたい」って具合でもないんですよ。まあそれはないとはいわんが、あくまで三番手くらいだ。
一番は「相手に傷をつけたくない、汚したくない」ってとこ。
ある種の人間にとって、自己否定が強い人間にとって、自分っちう存在は「ただいたずらに、人に迷惑かけたり、人を裏切ったり、傷つけたりする汚い存在」と思い込むんです。夢がそこまで思っていたか、は……どうだろう。ただ、。基本的に夢のどこかに、自己否定、というのがあるのは事実だとおもうのです。
そう「決め打ち」して思っておけば、ラクではあるんですな。自分ちう存在をそう思い込むことによって、より厳しい……「輝きを得るための勇気ある努力」から目をそむけ、よりラクな方向にいけるから。
もちろん、夢は死に近づいていましたから、努力もくそもねえよ、ということはいえます。でもね……人の尊厳って、そういうとこじゃないでしょう。死ぬからといって、逃げていいって話でもないでしょう。
本編において夢が洋君に「自分なしで生きていくのが幸せなんだよ」と諭すのは……欺瞞です。その根底において彼女の自己否定があった……そして、この物語において彼女の自己否定を、「勇気」によって。死に瀕してでも、愛する人とともにありたい、という瞬間の、閃光のような「勇気」によって、解決を見出そうとしたところが、この物語のもっとも美しいところなのです。あ、ちなみに、今の説明で「ダイの大冒険」の最後のあたりを思い浮かべたひとは無条件に俺の友達な。
ここでは、夢がどういう形で「病気を解決したか」は問題としません。(幻想×リアリズム、の対立を無視)
むしろ「夢がどういう勇気をふりしぼったか」を、生の、実存の証、として捉えます。 ぼくは、この物語は、その美しさがあるから……北天の星にそれを誓ったから、この物語全体の美しさがあると信じてやまない。
死ぬからといって……まあ、自分の最期が「どのへん」かを計ることは、むしろ善きことだと思います。
その結果、何もしないでいるのはどうか? それを、本人が「こころの底から善だと信じていれば」善きことでしょう。……善きことでしょう。理屈のうえでは。ただし、人間、ほんとうに死ぬときって、ぜーーーーーったい、後悔すんですよ。そして、後悔確率が一番高いのは、「何もしなかった」ことであります。
なんでもいいからやれ、ではありません。
死を前にしているからこそ、最大効率でもって(イヤな言葉ですが、そうとしかいえない)、自分の心からほっしていることを成し遂げる。いずれやってくる深遠の懐かしき闇に、自分とともに持っていけるのは、「ああ、自分はやりきったんだ……」という、かすかな手ごたえにも似た「勇気」のみです。(これを逆説的にいったのが、キャプテン・ハーロックが言った「地獄に持っていけるのは、汚名だけだ……汚名だけだ!」という台詞です)
夢にとってのバッドエンドとはなにか?
最近まで、自分は夢の二次妄想をしていて(この数年、洋君×夢は、自分の殿堂入りカプでして)、そのバッドエンドは「洋君に選ばれない」Kanon問題、だと思っていたんです。
でも、ちょい違うような気がした。
夢がどんな状況であれ、勇気をうしなわなかったら……それは、メアルートで勇気でもって、祝福した姿に一片の闇もなかったこと。ここにおいて、夢は救われているのです。そう、ここにおいて、勇気の輝きはあった。
逆にいえば、勇気の輝きないところに、彼女のハッピーエンドはなかった。
思えば面白いものです。もっとも死に瀕していた彼女が、子を生むという、生をもうけるという存在になる、ということを。
その原点はどこにあるか、というと、やはり、先に述べた「勇気」であるしかなく、その後の小河坂一家が幸せな「輝き」を持っているのも、やはり「勇気」が根本にあるからなのです。
さて、「大人組」が「勇気」の欠如によって輝き失いつつある、といいました。
夢のケースは、それを最も極端な形で表したようなものです。そういう意味では、このルートがグランドルート扱いされているのも、むべなるかな、と思うのですが、これは曲解がすぎるかな。
生きている限り。
死の間際で、後悔しないように。
ただ人間が輝けるとしたら、その焼けるような閃光の輝きであり……そして、「ひとが、ひとの生きている意味を見出す」のは、相手がどのように輝いているかどうかを、近くでつぶさに見る、というほかないのです。
これは理屈じゃねえ。
だからこそ、物語は美しさを希求する。物語に感動した者たち(レビュアー)は、こうして物語の美しさ、輝き、勇気を叙述する。分析する。なんとか書き記そうとする。
んじゃ最後に、ちょっと歌詩を引用して、とりあえずは星メモ感想Ver.2.0をおしまいにします。
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このまま立ち止まるより
見上げた空の高さにあきらめるより
過ぎた時は運命でも
明日は誰も知らない
抗うことはまだできるはず
焦る気持ちの裏で
忘れられない願いを抱きしめているから
荒野に同じ瞳をした優しい追い風を集めて
往こう ここから始まる未来へ
――「WILD ARMS Advanced 3rd」主題歌
「Advanced Wind」
作詞作曲、なるけみちこ
https://www.youtube.com/watch?v=uPmg1MWse0I