ようやくクリアしました。 振り返って、反芻して、OPを再び見て・・・鳥肌がたってきた。田中ロミオに、あらきまきに、たくまるに、XUSEのスタッフに感謝を (2/27追記・修正)
自分という中で100点は1番、1番とは?
1番に値するということはどういうことか? ずっと空席にしておこうと考えていた場所。
ただ間違いなく「万人向け」ではありません。読むひとを選ぶ作品。
まずは、この作品に関わった全ての人に感謝を。
「最果てのイマ」は時代に愛された作品だと思いました。
田中ロミオ氏のシナリオ
あらきまき氏の絵
たくまる氏の音楽
これほどまでに斬新な作品を世に出したXUSE
18禁ゲームという受け皿の広いジャンル
どれもが欠けても描ききれなかった
けれども実際に「それ」を受け取って得たこの感覚
OPを流して見ながら今これを書いていますが
鳥肌が立つほどのこの完成度、アイディア、情報量、音楽
そして心地よい余韻を残す、ぬくもり
「最果てのイマ」はそんなものを残してくれました。
元々勧められてはいたのですが、調べてみると「CROSS†CHANNEL」を先に描いている事を知って、まずはそちらからプレイすることに。
「CROSS†CHANNEL」が終わった後も、積みゲーの多さや『基本オールクリア・出来るかぎりスキップ未使用』という亀プレイで半年以上積まれていました。
・OP
公式サイトにあります。積んでいた「イマ」をやる気になるきっかけをくれたものでもあり、非常に美しい作り。
何ていうんですかね・・・OPって、普通は宣伝?を兼ねているというか世界観を伝えるというか、そんなもんだと思っていたんです。
実際、きっかけをもらったのだってそういう意味だと思うし。
しかしコレは違いますね「イマ」のOPは違う、作品の一つだ。
OPでありながら、OPだけではない大事な役割を持っている。
霜月はるかさんの透明感のある声が、また映像と融合して聞き惚れてしまいます。
・テキスト、シナリオ、立ち絵、BGM
別々に書こうと思っていたら書けませんでした。糸冬
「かまいたちの夜」「痕」に少し既視感を覚えてしまいますね、立ち絵というのが前述2作品には無かったところですが。
自然に読んでしまうテキストとシンクロして変化する立ち絵の数々、引き込まれてしまうシナリオに合わせて表情を変えるBGM。
透明感のあるCGに合ったピアノの曲が沁みこんできます。
なにもない日常を描いた場面が、どうしてこんなに貴重だと思えるのでしょう?
退屈だと感じずあたたかいと、ゆりかごに揺られるようにこのままであればいいと。
しかし、「最果てのイマ」が描きたかったものとは何なんでしょうか
別に答えが必ず必要なものでもないですし、「感じ取った、そのままでいいじゃないか?」と主張する自分もいるのですが
それは心の果てにあるものを描く、物語ー
と、あります
心の果て・・・心の果てには何があるんでしょうかね?
うーん、やはり果てと言われると少し冷たいイメージになってしまうな
このあたたかなイメージにはそぐわないような気もします
あえて表現してしまうなら、「心のふれあい」「他者とのふれあい」なのでしょうかね・・・(イマイチっぽいけど)
(たぶん)難しい話です
人を選びます
好き嫌い激しそうです
テーマなんて無いかもしれません
けれど、自分は大好きです。文句なしに、イマは「1番」です。
アスはどうなるか分からないですが
ただ、ジャンルの「ジュヴナイルアドベンチャー」ってのはさすがにないんじゃないかな~?
お気に入りのキャラ:千鳥・葉子
お気に入りの場面:「パンスケ」Chapter・勉強の約束
お気に入りのチャプター:弧人の果て・最果て
お気に入りの曲:告白・a far song ~カナタノウタ~
《追記》
考察のような、批評のような、覚書のようなモノをつらつらと。
多数ネタバレを含みますのでご注意を
ソフト・まとめサイト・攻略サイト・抽出したテキスト なんかをヨコに置いて書いています、批評空間の感想も一通り読みました。
加味、理解、判断して書いているつもりですが、意図せずにそれらから大きく影響を受けている可能性は否定しません。ご容赦を
プレイ後からヒシヒシと感じてはいる事なのですが、反芻して読み進めるごとに新しい喜びを見出せる
そんな深い深い作品ですね。
(問題は、その深さに意味があるか?という事なんかも合わせて色々)
・先ずOPを含めたムービー
これは「イマ」の言葉というか『想い』で合っているはず
エピローグにて「イマ」は忍に「ログ」を残し、混乱状態で「イマ」自身が治療中の忍もその「ログ」を取るさまを見ていたと言っていた。
つまり発言者が明確になされていない第三者視点のテキスト全てが「イマ」の視点から見た、考えたもののはずである。よって
__________ 彼らはいつも七人だった。
わずかな時さえ惜しみ、町外れの廃工場に集まった。
忘れ去られ、錆と砂埃を胎に積もらせた直方体。
殺風景でありながらどこか情趣さえ漂うのは、かつて満ちていた人の息吹が感想し、空間に薄く哀愁を添えているせいだ。
過去の映画に思いを馳せるように・・・・・・見る者の胸を、打つこともある。
若者達は、しかし異なった所感を抱く。
忘却された世界を、所有者無き領土と受け止める。
老いたものを、若者が受け継ぐ。
世界が連綿と繰り返してきた摂理をなぞり、彼らはたまり場を得た。
家庭でも世間でもない安息の場所。
樋口章二が《聖域》と呼んだ場所。
孤独を重んじる章二が斯かる発言をしたことは、六人の印象に強く残ったものだ。
あまりにも強いイメージは誤認さえ呼び起こして、迷路にいざなうこともある。
聖域の是非については語るを得ない。
約束の地について巨視的に論じるには、あまりにも未熟にすぎる。
ただ確かなことは、彼ら七人にとってそれが途方もなく重かったということ。
心の大部分を占めていたという事実。
その一点に尽きた。
千々に撒かれたパズルのピース
優しく、配列されますように ________
これは「イマ」の想い。
「ログ」の観測者である「イマ」の視点であることが、《聖域》メンバーの七人を「彼ら」と呼ぶことにあらわれている。
「戦争」において多大な被害を受け混乱し、記憶さえバラバラのパズルのピースのようになってしまった忍
そのピースを「ログ」として集めてまわった「イマ」の切なる願い。
OPにも使われているが、プロローグに置いてのcategory「最果て」として保存されている。
そう「最果て」の「イマ」
故にOP=1 あずさ、沙也加、笛子、葉子を1周した時点に2 戦争編の導入に5 とある「イマ」のモノローグは「IMA category」として記録されることになる。
・「最果てのイマ」のテーマ(仮定その1)
今の現実世界への強烈な風刺ではないか?
そう思わせるキーワードが数多く出てくる。
「聖域」・Link「自衛隊の1番偉い人」・ゆとり教育 等は小泉前首相に関連するワード
「母子家庭」・「出産報奨金」・医療関連の《倫理》・いじめ これらはニュース等でも度々話題になるワード
名もなき脇役、学校の生徒などをは非常に簡略化され乱れた日本語を使っている。
《聖域》メンバーにしてもある程度は使用しているものの、かなりその差は大きいように描かれているように思う。
あずさ=門限 沙也加=茶道 笛子=勉学 塚本兄弟=武道 章二=探偵(?w)とまぁ、芯が通っているようにも。
マー ここまで書いてきてナンだけど、風刺がテーマとかやっぱりそれはないのかな()
このあたりの毒は田中ロミオとしての特徴なんじゃないかな、くらいで。(←友人に諭されて目を覚ましたらしい)
・(仮定その2)
やはり「ふれあい」「交流」といったモノなのかな?
《聖域》ってそのままでとると「廃工場」になるんだけれど、これは「仲間と過ごす空間」というふうに捉えたほうがスマート。
章二が命を懸けても守りたかった《聖域》は「廃工場」じゃない「仲間」
笛子1周目「千鳥の乱心」で、忍の心の叫びを受けた千鳥の気持ちはいかなものだっただろう・・・
「仲間」との関係とは? お互いの尊重、干渉、理解。
大切にはするが、放置するわけではない。
慎重に、大胆に。繊細に、大雑把に。影響を与え合いながら在る
個室でありながら、共有スペースでもあった「廃工場」は物理的な面では確かに《聖域》であり、本質的にはそこに在る「仲間」こそがそれ。
「人」として歪な幼年期を歩まされていた忍が、「人」として成るために集めたもの。
見逃すことが出来ずにあずさを
確固たる他者として沙也加を
自らのモデルとして葉子・斎を
憧れの存在として章二を
遺言の履行のために笛子を
7という数字には意味がある。
7は「完全」を表すから、忍はそれにこだわった
忍は自らのために集め、それゆえに責任を持とうと誓っていたけれど大きな誤りをしていたと言える。
彼らは忍によって集められた。
しかし章二が《聖域》と名付け、皆が認識して留まったのは彼らの意思である。
模倣子による影響は忍自身がつとめて抑えていたし、沙也加にいたっては紛れもなく本人の望みによる。
ここで少し話を「戦争編」に移す。
恐らく殆どのひとが「戦争編」の必要性について、その意味について疑問を持つだろう。
「戦争編」は語られなければならなかったのか?
答えはYesだと考える。
非常につまらない根拠から挙げると、田中ロミオ氏が必要のない話を編み上げるか?というもの(本当につまらない!ごめんなさい)
次に、忍の骨格を形作る上で必要だったというもの。
心・パーソナリティの「ふれあい」や「交流」を描く物語で、それらを著しく欠如した存在・忍を創っていく。
先ず外界の情報、ヒトとしての教育(?)から切り離された環境を表現するために「施設」を定義する。
次に「施設」の必要性、忍が「人」と成る必然性、その要因を創作する。
そして忍があつめ、出来上がった守るべき《聖域》
「敵」に対抗すべく考え出された「イマジナリー・ネットワーク」
この二つの矛盾・ジレンマ(一つ大きなキーワードでもある)《聖域》を守るために《聖域》を侵す
これらを描くためには「戦争編」は必要だったのではないかな?と
何か、それこそパズルみたいになってきた・・・
んー、だんだん間違っているような気もしてきたり
個人的に残念だと思っているのは章二の死。ちなみに間違えようもなく死んでいる。
シナリオの関係上、リンクの配列指標のために章二は死ななければいけなかった。けれど・・・章二・・・
「最果てのイマ」は忍の記憶のパズルピースなのだけれど、田中ロミオ氏はユーザーに「パズルを楽しんでみてください」とも「パズルだから組み上げてください」とも言っていないと思ってます。
組みたい人は組めばいい。それはその人の自由。
パズルも、「完成させて楽しむ人」「組み上げている過程を楽しむ人」「完成形を見ながら、ピースと戯れる人」それぞれの楽しみ方がある。
もちろん時間のかけかたも十人十色。
「イマ」のメッセージも
優しく、配列されますように
なのだから。
とりあえず、今のところはこれくらいで・・・
そろそろ脳が焼き切れそうデス Orz