青春のいいところ「だけ」をぎゅっと詰め込んだような作品だった。
青春とはなにか、みたいな問いをいろいろなところで耳にしますが、ぼくは青春とは「抽象」と「偶然の必然化」だと思います。(人生なんてだいたいそうだろとも思いますが)
子供と大人の狭間に置かれた青年期の学生は、自分を規定してくれるものを見つけるために彷徨うのです。ぼんやりとした世界の中で、今後自らの人生の道しるべとなる土台を探して、勉学や部活、そして恋に励むのです。
それを大人は許します。子供でも大人でもない中途半端な存在が、しっかりと自分を見つけられるようにと、たくさんの失敗や恥を許容してくれる空間を、学校を作っているのです。思春期の少年少女はその中でたくさんの失敗や恥を重ねながら、自分にとってぼんやりと大切なもののために一生懸命になるのです。
(コイバナ恋愛の話のつもりです)
……というわけで、今作コイバナ恋愛は女子校にぼんやりとお嬢様という理想を描いていたバカたちや白馬の王子様という子供の頃の夢を持ち続ける少女が盛大に青春する物語だった。
それに関しては共通中盤までの主人公が象徴的だ。
”なんとなく一目惚れしためぐり先輩のために、全力でバスケに取り組んで体育祭で見事ヒーローとなる。”
この、「なんとなく」という曖昧なもののために、人を好きになるという本来ならば偶然の積み重ねであるところのものをどうにかして必然化させようと足掻く姿こそ、今後一生かけても手に入ることはないだろう、眩しい青春の煌めきだと思う。要するに、体育祭編は本当によかった。好きな先輩のために、あるいは単に優勝を目指して、もしくはただただ楽しいから、友人と集まって遅くまでバスケの練習をする。朝は早くに学校へ来てクラスメイトの女の子と朝練をする。試合の前にみんなで円陣を組む。そういった当たり前の最高に楽しい日々の積み重ねが、あのシュートには込められていた。だからぼくも彼らと一緒になって優勝を喜ぶことができた。終わってみたらもうなんのために頑張っていたのか分からない、けれどもとにかく心がいっぱいになっている、そういうどこまでも曖昧な感覚に全力で酔いしれる高校生が最高なのだ。
その曖昧なものをとにかく口に出して、そうして自分たちの身近な人間関係に直接紐づけようとする行為こそが「コイバナ」なのだから、これ以上この作品に相応しいタイトルもないだろうという感想をクリアした今では抱いている。青春万歳。
しかし今作はそのために、青春の、面白いけれど悪いところを全部とっぱらってしまってもいた。
それを端的に表しているのが、マイペースに部活に取り組む千依に対しての「先輩に恵まれてよかったな、いじめられててもおかしくないぞ(要約)」という主人公の発言だ。
普通の(というか10年前くらいによくあった)学園モノなら、個別で千依が意地の悪いモブ先輩にいじめられるとかそういう展開があったかもしれない。だが、シナリオにシリアスを取り入れないというアサプロの手法に則り、そういった青春の暗部をなるべく隠したものが『コイバナ恋愛』が徹底して描いていた「青春」の姿だった。恋ロワやフタマタにあったゲキオモ恋愛がなくてちょっと物足りなかった的な感想は大体この方面への批判だと思う。もうちょい山あり谷ありの波乱万丈な青春を見たかった、という気持ちはぼくもよく分かる。そのせいで個別で主人公とヒロインが結ばれた後にセックスしかすることがなくて、お前ほんとはヤリモクで付き合ったんじゃないかと疑ってしまったヒロインもいた。先輩とか先輩とか。(というか全体的にこの傾向があった。)
こころは共通でしっかりと主人公に惚れる過程を描けていたし、千依は序盤からずーっと好意ダダ洩れだったので、この二人に関しては個別入った瞬間発情してても違和感なく楽しめた。その反面、主人公に惚れた理由が弱かった先輩と後輩に関してはキャラと掛け合いが面白い抜きゲーという感が否めなかったのはある。トコちゃんはさすがにもうちょっと、もうちょっと過去になんかなかったんか! 本編でも言ってたけど!
何が言いたいかというと、とにかく体育祭編と修学旅行編がめちゃくちゃ面白かったなぁということだけ言いたかった。それだけで、キャラゲーである今作にこの点数をつけることができたんだから。(個人的に、キャラゲーに85点以上つけるのはかなり勇気がいる)。ありがとう、八日なのか。ありがとう、コイバナ恋愛。