Railway~ここにある夢~がより洗練されて帰ってきた。Railwayは必須。るな☆シーズンもやっておくとニヤリとできる。四人の行く末くを見届けたら再び始まりに回帰してみよう。最後まで見届けたら……Way to the BLUEへ。飛べない翼を惰性のままに抱え続けるぐらいならば、いっそ捨ててしまったほうが良い。2016年12月11日一部改稿。
emuの世界(るな☆シーズン、railway、雨に歌う譚詩曲、そして空に舞う翼。以下便宜的に四世界とする。)は非常に独善的で内向的だ。人々の興味関心は誰かに向いているようで自らの裡にしか向いていない。だから彼らの行動はときとして人を苛立たせるし、傷つける。外部の我々から見れば傍若無人にすら見えるだろう。自身もまたバイオレンスな智也の行動に反感を覚えた。むしろ四世界で好きになれた、所謂私たちが主人公と規定する人物は、railwayの有沢浩樹ぐらいだ。女の子たちにしても白石美砂は、人が大切に作り上げたプラモデルを壊しておいて逆ギレする始末だし、風夏さんを筆頭に人の話を聞かない娘ばかりだ。空を舞う翼の中で一番まともなのは香澄ぐらいだろう。
如何に観測する側である我々にストレスを与えないかが考慮され、我々が望むような優等生的行動をとらされる女の子たち(例えどんなに悔しくてもつらくても、表向きでは微笑みながら恋敵に恋人の座を譲るような、不自然なまでに互いの仲の良さが強調されるような)が多い中で、彼らはあまりにも自由なのだ。なぜ彼らは自由でいられるのだろうか。それは、空を舞う翼には主人公などいないからだ。あくまで主に描写される形式上での主人公が存在するだけだ。
物語の本質は都合の悪いことの忘却である。emuとは全く関係ないが、四月馬鹿達の宴において、それは上流で小便をする男、中流で洗濯をする若い女、下流でその水を飲む変態の三人を例に挙げている。
変態は若い女が洗濯をしているのを見て喜んでその水を飲む。若い女はそのことに気づかずに洗濯を続ける。このとき、若い女は下流の変態の存在を忘却しているのだ。しかし、変態もまた一つ忘却していることがある。それは、より上流において小便が放流されていることだ。これを、観測する我々の視点に戻すと、我々が上流の男の存在を忘却していると下流の男はただの変態になる(あるいは羨ましいと思う諸兄もいるかもしれない)。しかし、一度上流の男の存在を観測すれば、下流の男は直ちに間抜け者の烙印を押されることになる。
同様のことは優等生的女の子たちにおいても言える。叙述される中で彼女たちの都合が悪いことは著しく省かれている。大好きだった人を他の女に取られて夜毎に枕を濡らす姿を我々は知ることはない。せいぜい推測することが精一杯だ。我々に悪印象を与えかねないものは全て忘却される。そもそも、主人公というほとんどたった一つの視点しか与えられていない私たちに、観測できるものなど限られているのだ。
そう、本来は忘却されるべきなのである。しかし空を舞う翼においてはある程度、それが回避されているのだ。その理由の一つは智也がまたその世界に住む中の一人に過ぎないことだ。彼は中心にいる人物ではあるが、他の人物に影響を与え後は、その人物が動きたいようにさせるだけの存在でしかない(四世界において共通することのように思われる)。象徴的なのは恵那であろう。彼女においては、智也と精神的に結ばれることはない。ただ彼との関わりを通して自分の大切なものと向き合うことになる。他の女の子たちにしても結ばれることそれ自体によって幸せになるのではなく、恋愛はあくまで過程であり手段でしかない。最後には翼を得た彼女たちは観測の枠から外れ自由に羽ばたいていく。それは忘却ではない。
そしてもう一つが、彼らがどこまでも内向的で自分にとって大切なものが見えているからだ。そのために外部からの観測を彼らが意識することも、また部外者からどう思われようとどうでもいいのだ。ここまで書いたときに私が彼らに感じた苛立ちは嫉妬心に起因しているのではないかと思うようになった。外部の人間からどう思われようと自分の中の大切なものをひたむきに追い求めていく、その姿勢に。彼らと彼らの世界は、感動だとか愉快だとかを与えられただ消費し、人物が思い通りに行動することに慣れきった非生産的な私たちに対する、一種のクロスカウンターのように感じられた。このようにして彼らは最後まで観測者の支配から自由であり続けるのだ。彼らが限りなく独りよがりであることによって、そしてまた彼らがどこまでも人として生きていることによって。
空を舞う翼で語られる主題もまた無為に時間を過ごしていく人にとっては、きつい一撃になるだろう。
夢へと飛び立つことも、かといって夢を捨ててしまうこともせず、ただ想いだけを抱き続ける人々。
今が続くことを望む潜在的大空倶楽部のメンバーがどれほどいるだろうか。夢を描くだけでは意味がない。その翼を見えるものにする必要があるのだ。
登場する人々の中で特に印象深かったのは風夏さん。
始めは、その自由奔放で掴みどころのない言動に戸惑っていた。でもその実彼女なりの信念の上での行動なのだというのがわかり一番気に入った。
「どうしてみんな、ふーかさんより長生きできるのに、こんなに無駄な時間使ってるんだろう……」
様々な世界で『量産された不幸』が氾濫する中で、こんなありふれた言葉がどうして胸を打ったのか。
他の人々が過去に囚われている中で彼女だけが未来に囚われていた。
風夏さんは話を聞かないとよく言われていたけど、風夏さんにとっては大切な人と大切な時間を共有すること自体が大事だったから、内容はどうでもよかったのだ。まさに風前の灯火のようにいつ燃え落ちるかわからない命。そんな彼女にとって、一つ一つの話題を吟味する余裕も過去を振り返る暇もなかった。
「逆に言えばそうかも。」
みんなが過去に囚われ、過去に生きている中で彼女は未来をどのように生きようか、それだけを考えていたからこそ、逆に言えばという発想になったのかもしれない。
「限られた」大切な時間で楽しいことをできるだけ沢山過ごすことが何よりも大切な彼女を知るうちに
そういえばBlue-sky-Blue[s]のBlue[s]は譚詩曲と対応するようにしたのかな。ブルースは全然聴いたことはないけれども、辛いことを吹き飛ばすような音楽だと認識している。なるほどこれは彼ら、特に風夏さんに合ってるかもしれない。悲運が待っていようともどこ吹く風と今を生き続ける彼女に。
風夏さんからは特に大切なことを教えられたように思う。
最後の常葉町へと回帰する場面は非常に興奮してしまった。空へ空へ。高く煙を巻き上げ自分はここにいると叫び走り出した機関車が、紙飛行機となって海に包まれた常葉町に回帰する。空と海がここでも対比されているのには驚いた。一言感想にも書いたけど空を舞う翼という世界を理解するためにはrailwayの世界を識る必要がある。
空を舞う翼における、「夢」と幸福について
railwayでは「夢」を見つけることが一つの目標であり、それが=幸福なのだと結び付けられていた。しかし本来ならば幸福への道筋≠夢ではない。なぜならば夢は手段という枠から外れえず、夢を叶えたからといって必ずしも幸福に至るとは限らないからだ。実際に夢を叶えたのに不幸せな日々を送っているという物語は存在する(さらに補完するならば幸福へ至る手段の一つとして「恋愛の成就」を挙げられる。これもまた多くの人々にとって、特にアダルチックな物語世界を享受する私達にとって、あるいは夢の実現よりもさらに身近なものに考えられるだろう。しかし、恋愛が成就しても必ずしも永遠に幸福でいられるとは限らない。私達の実生活において浮気、破談、熟年離婚、親戚との不和――恋愛にまつわる不幸は、それこそ掃き捨てるほどにありふれている)。これこそが空を舞う翼で語られるところの、大切なものが見えなくなるということではないだろうか。手段にばかり固執してしまったがために、その先にあるはずの目的が見えなくなってしまった状態。だからこそ覚悟ができないのであればその翼を捨て去ってしまったほうが幸せになれるという一見矛盾する主張が今回登場した。この主張はrailwayの頃であったならば不幸な結末として語らざるを得なかったであろう。夢を追うことの危うさという視点を加えたという点からも、railwayと空を舞う翼はコインの裏表のように密接に繋がっているのだ。
おもしろかった点。
るな☆シーズンの人々が暴走しまくってて面白かった。高校生時点で150人と付き合った恋多き不幸野郎、朝宮祥介。21回目の婚約破棄を見たときは、おまえは何をやっているんだ!?(しかも浮気!)とツッコミを入れてしまった。他にも篠瀬ともみが道路標識引っこ抜いたり、警察と逃走劇を繰り広げたり野本先生以上にやりたい放題で見ていて楽しかった。高校生時代こんなに、はちゃめちゃな奴だったかなあと思うほどに規格外の言動をしていて最初は同一人物だと気づかなかった。(祥介の前だから少しは猫被ってたのかな?)でも美優とは相変わらず親交があるみたいで、文句を言いながらも連絡を取ってるところは何だかんだ根っこの部分は変わってないんだなって微笑ましくなった。
後二回目のおまけエッチがどれもこれも面白いものばかりだった、
なぁ~にが「……おなにぃみちて♪」じゃ。
さりげなく譚詩曲の悠が登場してるのも面白かった。
とにかくemuの四世界を最初から最後まで駆け抜けることができてよかった。同年代の夢を持っていながら現状のしがらみの中で燻っている人たちにぜひ、この世界を体験してほしいと思う。
限りなく独善的でありながら、どこまでも優しく、生き生きと暮らしている人々。
そして生きる目的がどこにあるか、手段と混合させないで飽くまで追求し続けた点。
以前に出会った人々とまた出会えたこと。
この三点から私はこの世界に出会え、翼をもつ彼らと知り合うことができてよかったと感じ、この点数をつけさせていただいた。
最後に願うことは救われることなく忘却されていった女の子たちに、せめて救いの手が差し伸べられることだ。
夢は――ここにある。
そして、
「翼に力を――」