多くの人々は挫折を経験しても、立ち上がり前を向いて歩きだして、「あの日々があったから今の自分がある」、なんて言う。苦難の蕾の時代を耐えて、見事花を咲かせた彼等を人々は称賛するだろう。では、その影でついぞ立ち上がれず、過去の暗澹たる記憶を拭えない人達はどうすれば良いのだろうか?花咲かせない人生は果たして悪なのだろうか?『咲かない花は、罪ですか?』
〇
グラフィック、サウンド、シナリオと一切の妥協の跡なく作られた凄まじい完成度の鬱系作品だったと思う。ライターの山野さんはキャラクターの心の闇を描くのがとても上手な方だと前から思っていたのだが、今作では音楽等周りの後押しもあってかなりの迫力で心の病理を描いている。一言で言ってしまうと、リアルにメンヘラとかクズとか無気力な人間を書くのが凄く上手いのだ。「あぁ、こんな人いそうだな…」、「自分はこんな最低さを否定しきれるだろうか?」などと考え出してしまえば、後は登場人物達の心の叫びに読者は呑まれるしかない。読者にそう思わせる程まで悲痛にキャラを叫ばせるというのはかなり大変な事だと思うが、そういう所を丁寧に描いている事がこの作品の一番の妙なのだと思う。
などと書くとこの作品がただひたすら鬱々とした心情を語るだけの作品に思えるかもしれないが、実際はエンターテイメント要素も多く物語としても普通に面白い。社会福祉法人「キーチャイルド」の悪事を暴こうとする前半のパートは館モノのサスペンス的な面白さがあるし、タツヤとユウのラブコメパートは尺こそ短いものの無邪気な恋模様が明るい雰囲気を演出していた。後半に入れば輪廻転生を巡る伝奇要素・スピリチュアル要素が強くなり、ファンタジーとしての面白さが前面に出てくるし、インド仏教を中心に学術的要素が多く組み込まれるなど物語展開が多彩な事も本作の特徴の一つだろう。読み手によって「ニルハナ」に何を観るかはかなり変わってくるとは思うし、この作品は熱量が凄まじ過ぎて上手く咀嚼できず見当違いの感想を書いてしまいそうで怖いが、雑多にでも印象深かった部分を私なりの感想に残せればと思う。
〇読者を映す鏡としての「ニルハナ」
リュウヤやタツヤの持つ他人への支配欲・独占欲、他者の悲痛な心の叫びを自分の人生のスパイスとして楽しんでしまう趣向、過剰なまでの自己愛に共感を覚える人はそうは多くないと思う。実際に女を飼い殺しにしてまでそれをやってしまう2人のクズさは常識的に引くレベルに達していると思うし、だからこそ私達読者の日常とは関わらない物語の中だけに登場する特殊な趣向だと線引きが効いてしまうからだ。
でも一歩引いて考えてみれば、「画面の前で普段ゲームをしたり、小説を読んでいる君とさほどこの趣味は変わらないぞ」とこの作品は穏やかに囁いているように私は感じられた。多くの鬱系ノベルを楽しむ私たちの心のうちは確かに他人の不幸の味を一種の刺激として楽しんでいるし、まさにこの「ニルハナ」という作品に同じようなスパイスを求めてしまった自分も確かにいたと思う。更に言えばニルハナを楽しんでしまう人達はこういう楽しみ方を一切してないとは言いづらいんじゃなかろうか。
ゆにっとちーずさんの過去作「パコられ」がまさに主人公、ひいては読者の「最低さ」を突き付ける内容だった事もあってこんな事を考えてしまう面も大きいが、私は2人のクズさ加減を自分に投影してしまい考えさせられた部分も大きかった。ちょっと閑話的な感想にはなるが、この作品には自分の心の不健康さを俯瞰的に感じられる側面があったと思う。
〇メインテーマ「NILL-HANA」
私個人の感想としては、ニルハナは「どうしようもない毎日の先」を描く作品だったのかなと思っている。目の前の事がうまく回らず精神のバランスを崩してしまったり、そこまでいかずともつまらない毎日に飽き飽きし無気力になってしまったり、そんな負の転機が訪れても毎日は続いていく。心機一転立ち直れば話は簡単だが、そうもいかず過去の記憶やトラウマから自ら立ち上がることを放棄してしまう事もあるだろう。そんな咲くことを拒絶(Nill-Hana)してしまい燻っている人達へのメッセージが詰まった一作だったのかなと思う。
序盤でタツヤがテマリに語ったように、そんな日々から抜け出す特効薬のようなものはないのだろう。「死ぬとか殺すとか、一番ドラマティックなところでやめたくなっただけじゃないか!」とタツヤが語ったように、劇的な幕引きには救いなどない。本作の多くの登場人物がそうしたように、どうしようもなくともその先へ、明るい方へ明るい方へ日々をただ歩いていくより他ないと、残酷ながらも優しいメッセージが込められていたと思う。
ここだけ抜き出すと(カスリじゃないが)言葉にしたとたん陳腐になってしまいそうだが、ニルハナが描き出したキャラクター達の心の闇の深さは尋常のものではない。妥協なく絶望を描いたからこそ、対となるラストの希望のメッセージ部分は輝いて見えた。
『咲かない花は、罪ですか?』
周囲から見て美しくない枯れたままの花にも、美しさを感じる人はいる。
何が大切かなんてその人次第、自分の人生はもう枯れたと諦めちゃいけない。実際は明るい未来が待っているかなんて誰も分からないけど、それを信じることは多分悪い事じゃないから。いつか訪れるかもしれない穏やかな心持でいられる日々(Nirvana)を信じ、燻らず、前へ、前へ-
ショッキングで不穏な意味合いながらも読後は暖かみのある言葉へ変わる、大切なメッセージの詰まった良いキャッチコピーだったと思う。
〇終わりに
明らかに今までのゆにっとちーずさんの作品とは作品規模が違うし、クオリティもかなりのものでサークルの集大成として申し分ない作品だったと思う。作品内容にとどまらず、パッケージの美麗さなど隅から隅まで気を使われおり、サークルの「本気さ」がこれでもかと伝わってきた。また、マユの口を借りたライターの創作論などは本当に魂がこもっていたと思う。ゆにっとちーずさんの作品は実は「パコられ」しかやってないのだけど、世の中への怨嗟を書きつけるというより暖かなメッセージが優先された本作は、「読んだ人を幸せにしたい。つらいことがあったとき、隣に寄り添ってあげられる物語にしたい…」と言うライターさんの希望通りのものに仕上がっていたと思う。
最後にサークルさんへ感謝を
実は事前通販組で我慢できずDL版も買ってしまった身なのでいまだ手元にパッケージはないのですが、届いたら大切に手元に置いておきたいと思います。本当に素晴らしい作品をありがとうございました。
少し追記
事前通販でパッケージとサントラ受け取らせて頂きました。
まさかの山野さん直筆のお手紙まで付いていて感動してしまいました。こんなところまで本当に手を一切抜いてないなって。ゆにっとちーずさんの作品がこれで終わりだと思うと本当に悲しいです。ニルハナ、確かに楽しまさせて頂きました。重ねてになりますが、本当に、本当にありがとうございました。ゆにっとちーずさんは残りの期間作品の普及に専念するとのことですが、私もニルハナが多くの方の手に取られることを願っています。
※余談
本当に余談だし「ファタモルガーナの館」をプレイ済みの人にしか伝わらないのだけど、リュウヤ君が凄いヤコポに似ているなぁとプレイ中ずっと考えていた。失恋すれば喚き散らし旅行に出かけちゃう女々しくも人間らしい部分だとか、結局かませ犬的な立ち位置だったり、自分のクズさを嫌という程自覚しながらそれでも自分を保つため露悪的に振舞っちゃうけど、結局は善人を辞められてない所とか。私はヤコポみたいなキャラ大好きな事もあってリュウヤ君も割と好きなキャラだった。本作は群像劇だけど、一応の主人公のタツヤ君より余程主人公してたと思う。全体を見直しても呪いとか転輪とか幻想の館モノとか魂の具現とか被る設定が多いのもあって、ファタモルが好きな人にも推せる作品でもあったのかなと。