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まれびとさんのさくらむすびの長文感想

ユーザー
まれびと
ゲーム
さくらむすび
ブランド
CUFFS
得点
90

一言コメント

禁忌。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

オススメ度:8
お気に度:10
シナリオ:10
テキスト:10
立ち絵:10
一枚絵:10
音楽:10
雰囲気:10


以下は感想では無くシナリオの解釈について。

1.何故この作品は不気味なのか
何故この作品が、非常に良い雰囲気の甘々な作品であるにも関わらず、どこか薄気味悪いような、不気味な印象を受けるのか。
第一に「数多くの事象が語られずに終わる」事が挙げられる。
と、いうのも。この作品は話の中核を担いそうな出来事も、煙に巻いて隠してしまう。そして明かされないまま、漠然としか分からないままエンディングへ。という感覚なのである。
人は「良く分からないもの」や「理解出来ないもの」「明らかにされていないもの」に対して恐怖心を覚える。
それがこの作品の「不気味さ」を形作っているのである。


2.禁忌
では、具体的に「隠されている」点を挙げていく。隠されているというか、多くは語られないが「おそらくこうであろう」という事柄である。

・桜結び
タイトルにもなっている通り、この作品は「桜結び」によって一変する。「桜結び」とは具体的に言うと台本の名前なのだが、それを作ったのは主人公らの親の世代であり、登場人物の名前こそ違うが、キャスティングが親(だったり叔母だったり)なのである。
その人間関係はフィクションであり内容もそうなのだが、シナリオの本筋は事実を踏まえている。
そしてそこには様々な禁忌が含まれるのである。

・主人公の親
主人公の親は金村世津子と桐山亮一であることが明かされている。
両者は既に故人であり、世津子は自殺。亮一は世津子自殺の後、本来許嫁であった秋野楓(紅葉の叔母)と結婚。そして車で桜に衝突し死亡。その事から、世津子が連れ去ったとした。
世津子と亮一の恋は「身分的に赦されないもの」であったとされる。その事から、世津子は「被差別民族」であったと推測される。
「橋の向こうへは行ってはいけない」
紅葉シナリオに出てくる言葉だ。これが何を意味するのかは想像に難くない。
が、世津子の家は秋野家の隣である。橋の向こうではない。これはどういうことか。
しっくりくるのは、「金村家は平民として生きようとした部落民」であると考えること。
『水月』で考えると山の民である那波と雪が麓で暮らしているようなものだろうか。
が。結局世津子は世間に受け入れてもらえず「桜の国」へ旅立つのである。

・主人公
圭吾と桜は結局兄妹ではなかった。
ではそれぞれがどのような存在だったのだろうか。
圭吾は部落民との間に生まれた「世間から望まれない子」である。その事は可憐シナリオに顕著に出ている。
が、しかし。秋野家の面々は圭吾を受け入れてくれている。これはどうしたことか。
それは単純に。亮一と楓の「辿るべきだった道」を圭吾と紅葉に望んでいるからではないだろうか。
この場合に於いて圭吾は世津子の子、ではなく亮一の子、として認識されているのである。
世津子:桜の精だから。
亮一:誰が?
世津子:私が。この子が。あなたが。
亮一:おまえとその子が。
から分かるように、亮一は圭吾を子として認めていなかった。部落民と歩むこと、「桜の国」を目指すことから逃げ出したのである。

さて桜はどうなのだろう。施設からもらってきた子、と言われているがどうにも怪しい。
怪しいというかなんというか、桜はどんな存在なの? ということ。
台本の通りに当てはめると、
亮一:圭吾
楓:紅葉
となる。そしてこの二人が結ばれることが「世間的に」グッドエンド。
が、妨害因子が存在する。それは
世津子:桜
である。桜が圭吾と血縁では無いというならば話は早い。要は「桜もまた部落民である」ということである。
それを表に出さないため(謎にする為)に、禁忌を「部落」から「兄妹」にすり替えているのである。
「どうして僕と桜が別々の家に引き取られたのか。
そのことだけは、とても疑問に思っていた。」(OHPより)
当然、過去に起こった悲劇の再発を防止するためである。

・桜の国
桜の国とは、「桜結び」に於いて桜の精が主人公(亮一)を連れて行こうとする場所であるが、現実に当てはめると「禁忌の赦される国」ということになるだろう。
だからこそ桜の精(世津子)は誘おうとした。子供と共に。
しかし
世津子:桜の精だから。
亮一:誰が?
世津子:私が。この子が。あなたが。
亮一:おまえとその子が。
亮一は桜の国へ行くことを拒否する。何も亮一が酷い人間であるという訳では無く、世間が許さなかったのだろう。
そしてこの桜の国は、世津子に当て嵌められる桜のシナリオのバッドエンド。通称「桜の国」エンドで出てくる。
これは両者死亡する(直接的描写は少ないが)エンドであるが、二人は死亡後も歩き続ける。桜の国へ行った、ということだろう。禁忌の赦される国へ。
桜シナリオの言いたい事は「二人で禁忌に立ち向かった」ということ。亮一と違い、圭吾は逃げなかったのである。そういうエンドだ。
で、もちろんというかなんというか、妨害する人間が出てくる。紅葉だ。
紅葉は「順当に行けば圭吾と結婚する関係」である。
そんな紅葉は「桜のお化けが怖い」という。圭吾を連れ去ってしまいそうで。
『水月』で言うところの雪シナリオ、透矢が雪を探しにマヨイガへ行くのを止める花梨に状況が酷似しているが、そういうことだろう。

・瀬良可憐という存在
「桜結び」の初代台本を持って来たり、桜シナリオ・可憐シナリオでは桜と圭吾を取り合って喧嘩したり、親が圭吾との関係を赦さず逃げたり、と中々波乱万丈に満ちているが、可憐とはどのような存在なのだろう。
そもそも可憐が台本を持ってきた事によって全てが始まる。
良く考えれば、瀬良家もよく似た構図ではある。
この場合、兄が養子であり可憐が実子。そして兄妹仲は良くない。真逆とも言える。
何故可憐の父は圭吾をそこまで嫌がるのか。
二人の仲を引き裂く化け物とは何なのか。
結論から申し上げれば圭吾と可憐は義兄妹である。
両兄弟が対称ならば立場上は圭吾=可憐ということになる。
勿論両者は気付いていないが、それをにおわせる描写が桜と可憐の喧嘩である。
桜は圭吾の妹ではない。にも関わらず
「ただ、桜の実の兄であること。
それが、幼い僕の精一杯だった。
だから――
早く大人になって、僕が桜を守るんだ、と…
僕だけはずっと桜の側にいてあげるんだ、と…」(OHPより)
本来ならばそこに居るべきは私だ、と。そういう描写なのではなかろうかと推測する。
そして何故可憐父(光博)がそこまで圭吾を嫌悪していたのかも頷ける。そりゃあそうだ。
つまり、光博は「部落民の血縁」だから圭吾を嫌悪していたのではなく可憐との「近親結婚」と「過去の罪を暴かれる」ことを防ぐために反対していたのである。
ここに本来の形での「さくらむすび」が存在する。兄妹間の禁忌を扱っていたかのように見せて部落民の問題を扱っていた本作の裏にしっかりと「兄妹間の禁忌」を扱っているのである。


 桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。


桜の国とは桜の精によって誘われる場所。
そこはどんな禁忌をも赦される国。
その世界もやはり――屍体の上に成り立っている。