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まつさんのお兄ちゃん、右手の使用を禁止します!の長文感想

ユーザー
まつ
ゲーム
お兄ちゃん、右手の使用を禁止します!
ブランド
Galette
得点
80
参照数
3580

一言コメント

ただそこに妹がいるというしあわせ

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想


さて、エロゲにおいてヒロインが総巨乳化の流れを辿っていく中、本作の妹達は、ちっぱい至上主義を掲げながら日々理想を追い求めてやまない業深きお兄ちゃんズの夢の結晶だ。
ロリゲーにしてロリゲーとは言い切れない、いや、そもそも何をもってロリというのか、本作はその曖昧な間隙を巧みに突いてきてます。
少し配分を間違えば一気にどちらかに傾いちゃうような、そんな危うい綱渡りの上に製作陣の拘りが伺えました。

つぐみとあゆかを見てみれば、未成熟的なボディ、かといって幼児方向には傾きすぎず、K子氏の絵柄はその“程良さ”加減が絶妙なんですね。
まさにそう、ガレットさんの拘る「成長途中のふくらみかけ」、この裡に潜む艶かしさは筆舌に尽くし難い魅力があります。

印象面とのギャップと言い換えてもいいかもしれません。
いつまでも小便臭いガキだと侮っていたら、不覚にも時折垣間見せる女性らしい身体つきにドキッとしてしまうみたいな。
ぷにぷにと柔らかそうな子供らしさと、肉感的な色っぽさ、両者がK子氏の描く巧みなボディラインを通して程良い塩梅で共存している。

控えめながらも、その成長具合を確かに主張するちっぱい。

公式でも「奥ゆかしさ」と掲げられているように、ふくらみかけとは侘び寂びにも通じる日本人の繊細な心なのではないか。
おっぱいで溢れかえったこの業界に、慎ましくも上品な華を提供する今作はまさに清涼剤と成り得ましょうや。

いやまぁ中身はえろえろなんですけど、そこは置いておきまして。



妹sの身体を入念に身体測定したところで話を進めましょう。

次に着目したいのは、ヒロインが4姉妹でいづれも実妹である、という点です。

ここから何が言えるのかといいますと、まず“兄妹”という包括的な関係があり、その部分として“姉妹”という関係が成立しているということです。
兄と妹という一面的な関係性だけでなく、姉妹間での、姉だったり妹だったりという各々の立ち位置。

例えば、つぐみとあゆかの関係。
お互いの長所、短所をしっかりと分かり合っていて、この四姉妹の中でも同じ目線で向き合うことのできる二人という印象です。
つぐみは料理>家事、あゆかは家事>料理というように、互いを意識し合いながらも認め合っているところがなんと言うか、微笑ましい。
そして、長女のつぐみより次女のあゆかの方が胸が大きいという厳然たる事実に、私の方が一応お姉さんなのに…ぐぬぬ。という妬み事が聞こえてきそうな、コンプレックスがとても可愛く映りました。

例えば、つぐみとかえでの関係。
いつも兄の隣を占領しているつぐみへの劣等感を抱え、背伸びした振る舞いで必死に自分アピールを見せるかえでの心情は痛いほど分かります。
対してつぐみも、そんなかえでの心情を汲み取りライバルとして認める一方、妹を心配する一人のお姉ちゃんとしての一面も顔を覗かせます。
そんな二人を温かく見守るあゆかだったり、逆にはらはらと心配を露わにするゆきだったり、姉妹ならではの立ち位置が表れていて面白いんですよね。

例えば、かえでとゆきの関係。
三女のかえでにとって、末っ子のゆきは唯一の妹ということになります。
兄の下宿先へ出張っているゆきを逐一迎えに来る描写からも感じ取れるように、姉妹の中でも人一倍ゆきを可愛がっており、しっかりとお姉ちゃんをやっているんだということが伺えます。

ところで、ゆきは末っ子という立場上、誰かにとっての姉とは成り得ませんが、穢れを知らないようなピュアッピュアないじらしさは、皆に一様に可愛がられるのも納得というマジ天使。


このように、姉妹同士という点からのアプローチも今作の魅力を語る上での大きな武器になっているかと思います。



さて、お次は各ルート毎の感想を交えながら、兄対妹という兄妹関係について。
兄妹の対峙の仕方がそれぞれ特徴的に描かれており、非常に興味深いものでした。
「つぐみ&あゆか」という上の子サイドと「かえで&ゆき」という下の子サイドで、歳相応とでも言えば良いんでしょうか、妹に対する向き合い方について方向性が分かれていたのが面白い。
前者では、妹に世話される兄として、後者では、逆に兄が妹の世話を焼いていくというような対照的なものとなっています。
つぐみ&あゆかは、兄と同じような目線で接することが出来ますが、かえで&ゆきはまだまだ未熟さを抱えているんですね。


①つぐみ

“妹”から“恋人”への特別な関係への変化ではなく、あくまでも“妹”として気の置けない兄妹関係そのままの自然体でありたい、その心の機微が面白かったシナリオです。
実妹・義妹に関わらず、家族の縁とはどこまでも付き纏い、決して他人とはなれぬ強固な絆。
それは“妹”としての武器であり、同時に最後の寄辺でもあります。

主人公が妹以外のヒロインと結ばれたとしても、ただ妹だけは側に居ることを許される特別感。
それ故に、世の妹ヒロイン達は「それでも私はお兄ちゃんの妹だよ」と言わんばかりに、例え想いが成就せずとも、その絆こそ信じることができます。

兄に異性として見てもらいたい、恋人関係になりたいっていう感情は兄妹モノとしてはいたって自然な流れですすが、本作のつぐみはそう単純ではないんですね。
それは倫理観とか血縁意識に由来する恋人関係の忌避などではなく、妹のままで在りたいという純粋性の顕れと言えるかもしれません。
というのも、つぐみは普通に肉体関係は持ちたいと思っているものの、今まで築いてきた兄妹関係が瓦解してしまう恐怖心がストッパーになってました。
だから、どうしても踏み切れずにいたし、兄が自分を異性として意識しないよう目を背けているのが分かるから、彼女もまたそれに応えるように付き合うしかありません。

「我慢して、『変わらない妹』でいようと頑張ったんだよ……?
 頑張って、すごい疲れても……頑張ったんだよ……?」

つぐみがついに零した心の吐露。
発情的なCGも相まって、ここで踏み留まることが出来るほど、我々は理性的なお兄ちゃんじゃないです。

「ずっと、私、こうなりたかった……こんなふうに、エッチ出来るくらい仲がいい兄妹に」
「変、かな?私……考え方、おかしい?」

そう打ち明けるつぐみに、

「いや、そんなことはない。本当に好きならエッチしたくなる、兄妹だろうとそれは普通だろ」

と紳士、いや真摯に向き合う主人公もまたお兄ちゃんの鑑です。

ところが、兄妹でえっちできる関係になったところで問題が浮上します。
それは、恋人というフィルターを通して妹を見てしまっているが故に、本来の等身大の付き合い方が出来なくなってしまっているということ。
つぐみにとっては、ケンカも出来る今まで通りの関係が常に念頭にあり、恋人のそれは何か違うとしきりに訴えます。
つぐみの葛藤と兄の戸惑い。
実際にデートを体験し、“恋人”として付き合うことの違和感に気付き、元の“兄妹”へと戻るのですが、恋人関係よりも尚至上のものとして兄妹関係が描かれるというのは、
広く散見される既存の妹ゲーシナリオの枠に囚われない在り方として、素直に感心しました。
えっちして当然の恋人よりも、えっちもできるくらいお兄ちゃんが好きって気持ち。
つぐみの中では、それ程“兄妹”というファクターが特別な意味を持ってます。

「恋人ごっこも、全然楽しくないわけじゃなかったけど……でも、ダメだよね、やっぱり」
「そういう関係じゃダメなんだよ。だって、ずっと一緒の兄妹なんだから」
「恋人じゃなくて、小さいころからず~っと一緒に育ってきた、お兄ちゃんが。私は一番好きなんだもん」

うん、本当にこの二人は遠慮なくズバッと言い合える気兼ねのない関係が一番“らしい”し、輝いています。
橘まおさんもキャストコメントで仰っていましたが、本当に、お兄ちゃんにとって一番距離が近く、誰よりも気さくに接することができるのがつぐみなんです。

余談となりますが、テレビを一緒に見る際の定位置、お兄ちゃんの肩ごしに覗きこむようなアレ、私のお気に入りの一枚です。
何気ない兄妹の日常的なワンシーンを切り取ったかのようなアットホームな居心地には安らぎを覚えてしまうし、なんかもう本当につぐみちゃんが可愛い、頬ずりしたい。

あ、つぐみの「お、お兄ちゃん……お、おっぱい大きいね……」。
これは私の妹迷語録にしかと刻まれました。。



②あゆか

これはあれだ、端的に言うと駄目人間製造機。いや、駄目お兄ちゃん製造妹。
妹像に対する妄想の具現化みたいな、そんな夢と欲望と色んな物を満たしてくれるシナリオです。
「お兄ちゃんはもう、何もしなくていいからね」なんて言われてしまったら、何からナニまで世話されてそりゃもう堕落していくのは必然と言えましょうや。

さて、前述したつぐみが妹が妹であることの必然性を追求したものであるのとは対照的に、あゆかは「将来はお兄ちゃんのお嫁さんです♪」スタンスをしっかり地で行く妹です。
主人公へと正直でひたむきな好意。
甲斐甲斐しい世話焼きスキルと奉仕の心。
こうした幼妻的側面と包み込まれるような母性に、恥も外聞も捨ててとにかくひたすら甘えてしまいたくなります。
まるで意思疎通など不要であるかのように、兄の望みを察し先回りして行動してくれる気配りの良さは、日頃からお兄ちゃんを観察していなければできない芸当ですね。

そんな女神様のような妹なんですが、お兄ちゃんのおしっこの世話とか、風呂場で全裸を晒しなが洗髪をしてくれたりと、大胆な行動も目立ちます。
しかもそれは、兄へと抱く感情を隠さなきゃいけない、でも気づいてもらいたいという二律背反の気持ちの表れだったりして、その強い情念を堪える姿が扇情的に映ります。
だから、洗髪してもらっている最中に妹のアソコへと自然と手が伸びてしまっても仕方がない。

「あゆかがお兄ちゃんを必要としているように、お兄ちゃんもあゆかを必要としてくれてる……そう思ってもいいのかな?」
「私、この日をずっと待ってた。お兄ちゃんにお股を触って欲しいって、ずっと思ってた」
「もちろん、私は妹だけど……妹として、1人の女の子として、お兄ちゃんのことが好きになっちゃったの」
「だから、ね……私を守るべき妹じゃなくて、お互い求め合える兄妹として扱って欲しいの。ダメ……かな?」

この時のあゆかの至福の表情。
風呂場でそのまま…ではなく、布団の上で処女を捧げたいというあゆかには、これまたお嫁さんチックな純粋な心が見えますね。
いや、こういうことをちゃんと言えるって大切なことだと思いますよ。
どうでもいいんだけど(個人的には凄く意味のあることなんだけど)、全てを曝け出し、シーツの上に横たわる生まれたままの姿ってほんとドキドキしますね。
初めてくらいは全裸えっちというロマンがあると私としては大変喜ばしいんですが、どうでしょうか。

脱線しましたが、互いが互いに与え合う関係というのは、根本にあるのは「相手に何かをしてあげたい」という無私な気持ちです。
兄妹という枠を超えた恋人関係は、まさにそのような在り方なのでしょう。

ところで、私の一番好きなシーンと言えば全裸姿での膝枕がありました。
そう、身も心も溶け合うかのような肌と肌で感じる温もり、そして見上げれば優しく包み込まれるようなその安寧に、聖母的な何かすら想起してしまいます。

結構このタイプの妹というのはファンタジックというか、現実とあまりに乖離しすぎていたりして、まぁそれは決して否定は出来ないのですが、少なくとも主人公の人間性は惹かれ得るものに仕上がっているし、
あゆかの方も、主人公との密着した日常を通して行動原理がきっちり肉付けされており、単なるステレオタイプに留まらないキャラクター性が出せていたかと思います。



③かえで

なにかとツンツンした態度をとっていますが、お兄ちゃんへの好意を全く隠せていません。
しっかり者のつもりですが抜けているところも多く、空気を読めなかったり、ズレた行動を取ってしまったりと重症なまでのアホの子っぷりを発揮します。
「わたしはもう立派なレディなんだからね!委員長なんだからね!」としきりに念を押すも、かえって子供っぽさを強調する結果となり、その本人とのズレが堪らなく可愛らしい。
このルートは一重に兄妹としての成長物語と言えるでしょうか。
この“兄妹としての”というのがポイントで、役者は1人じゃないんです。
主人公とかえで、兄妹で二人三脚しながら一歩前進するんですね。

「お兄ちゃん、だい好きっ」
「大好きだよ、お兄ちゃん」

普段素直に言えないからこそ、この台詞の持つ破壊力は並大抵のものではありませんでした。

ですが、浮かれていられたのも束の間、風邪でダウンしてしまったかえでを姉妹たちが見舞いに来ます。
熱で倒れた自分に代わって世話をするそんな姉妹たちに、自身の未熟さを自覚させられ、彼女を苛んでいたコンプレックスは表層化してしまう。
そんなかえでに対し、つぐみは本音をぶつけ、そしてお兄ちゃんは優しく諭します。

「かえでは怒るかもしれないけど、俺にとってかえではまだまだ子供で……」
「かえでが一番『残念』な妹だって思ったんだ」
「でも、そんなかえでに翻弄されてるのが好きなんだ。一緒にいると楽しいんだ」
「はは、俺も残念なお兄ちゃんだよな」

これを兄バカと言わず何と言おう。
でもそんなバカでいい。
お兄ちゃんにとっての特別になりたくて、無理に背伸びをして空回っていた彼女ですが、誰かにとっての特別とは必ずしも美点ばかりで成り立ってるわけじゃないです。
欠点まで曝け出せてこそです。
かえでに振り回されて、でもそんな妹だからこそ放っとけなくて、その自然体な関係がこの上なく楽しいのです。
“残念な兄”と“残念な妹”。
着飾らない関係も兄妹としての特権かもしれません。



④ゆき

あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~
この一言で説明できちゃうんじゃないでしょうか。
冗談はさておき、これは光源氏的なロマンを味わえそうなシナリオです。
方向性としてはかえでルートと似たような感じですが、このルートは妹の成長を見守る兄、つまり保護者のような内面が見て取れます。

「お兄ちゃんスキスキ」

天使のような妹。
ですが、この天使がまた恐ろしくて、「ホーケーだとち◯かすがたまるんでしょ?」と真剣な眼差しで曰い、
「エッチゲームってどういうの?それをやってどうするの?」と純真な眼差しで問われれば、お兄ちゃんなんだかもう土下座でごめんなさいをしたくなります。
そんなゆきに、えっちな知識を仕込んでいく兄の背徳感たるや。
妹と一緒にエロゲを遊んだり、これはマジにいけないことをしているような感覚に陥っていきますね。

心がぴょんぴょんするような同居生活ですが、転機は突然。
お兄ちゃんの右手の病状が悪化していることを聞かされ、ゆきは世話係として責任を感じ、何もできない自分を殊更に責めようとします。
その心にあるのは、いつまでもおんぶに抱っこではいけないという自立精神。
一人で何でもこなせるようになるのが大人なんじゃないかと。
でもそれは違うと主人公は否定します。

「ゆきは自分だけが、自分だけ何かしてもらったみたいに感じてるかもしれないけど、それは違うんだよ」
「それは家事の失敗なんかも同じだな、俺のために頑張ってくれてるのを見るだけで、お兄ちゃんは幸せなんだ」
「そりゃ、上手くできた方がいいけど、俺に迷惑をかけてるだけじゃないってわかって欲しい」

そう、迷惑をかけられるのが嬉しいんです。
失敗を繰り返しながら成長していく姿を側で見守っていくのが耐え難い喜びなんです。
庇護欲を掻き立てられるそんな妹の姿に、どうしようもない兄としての業を見てしまいます。




ここまでキャラクターについて延々と語ってきましたが、今度は演出面について語ってみたいと思います。

売りにしていた1on1の日常生活、そして毎夜のピロートークは妹の息遣いさえ肌で感じられるような密着感を出し、
薄っぺらさを感じさせない、キャラの持つ魅力を存分に引き出すことに成功していました。
例えば、妹達の前では長女としてお姉さんを演じなければならないつぐみは、兄と二人っきりだからこそ存分に甘えることができましたし、
他の3人にしても、姉妹の前、兄の前での態度の変化、そういった二面性が楽しめるものとなっていました。
兄の前でだけ晒す素顔、そういうのがとても可愛かったです。
そう言えば、顔アップのCGが各ヒロインに用意されていましたが、あれも1on1を特別意識させてくれる上手い表現だと思います。
こんな妹達の表情を独占できるのはお兄ちゃんだけ!!

また、普段気を張っている分、就寝前というのは気も緩んでいて本音などがポロッと零れ出てしまうもの。
ピロートークはそんな妹達の声をしかと掴まえ、特別感をドレスアップしてくれます。
耳元で囁かれるように放たれる素直な言葉に、悶々とした夜を過ごすことになるのは間違いなし。
事後の余韻としても大変有難いので、私にはコレが非常に好ましく思えます。

同棲生活みたいなものですから、ラッキースケベが日常的に楽しめるのも魅力ですね。
時にハプニングというには常軌を逸したような「どうしてこうなった!」ミステリーもありましたが、そんな摩訶不思議が許される二次元というのはかくも素晴らしいと思います。
それに伴い、日常シーンからエッチシーンへとシームレスな移行がなされるのもあって、日常の延長感覚でエッチを楽しめるのも素晴らしい。
兄妹のじゃれ合いがエッチシーンにまで良く落とし込まれていました。

立ち絵もまた魅力的で、差分も私服、制服、寝間着、下着、裸と一通り揃っており、それだけに留まらず、風呂場での髪型など細部でも変化が見られ、
鑑賞するという点でも本当に楽しめました。
結構、風呂場でもリボンやアクセサリーがそのままとか不自然なのありますから。


残念だった部分としては、まず、おしっこがおしっこっぽくない。

そう、おしっこがおしっこっぽくないんですよ!!!!!

そりゃまぁ多量な水分摂取のために透明度の高いものが出たりすることはありますけども。
いや、別にそんな俗っぽい話をしたいわけではないし、やっぱりそこにはエロゲとしてのロマンがない。
何のための黄金水か。
もっとこう飲みたいと思わせられるものを描かなくちゃ失格です。
SEも完備されていれば尚良かった。

それから、妹主導えっちも欲しかったと言うのは高望みでしょうか。
つぐみにしろ、あゆかにしろ、かえでにしろ、ゆきにしたって、“攻め”属性を十二分に持ってると思うんですよね。
妹から小悪魔的に責められたいというのも、全国のお兄ちゃんとしての一願望なのではないでしょうか。

つぐみに跨がられて素股でひたすら焦らされたい。
あゆかにチ◯コを観察されて、聖母のような顔で執拗に言葉責めされたい。
かえでに真っ赤な顔で罵られながら足コキされたい。
ゆきには汚い言葉をもっとぶつけられたい。

・・・個人の取り留めの無い妄想終了。




最後に、妹ゲーの在り方について言及しつつ、総括とさせていただきます。

兄妹同士の恋愛を描くにあたり、真っ先にぶち当たる壁というのが近親相姦という問題かと思われます。
“妹”キャラとは切っても切れない、逃れられない因果。
そして、それに起因する背徳感や葛藤を味わう、まさにこれが妹モノとしての醍醐味と言えるでしょう。

例えば、「Clover Point」の夜々だったり、「黄昏のシンセミア」さくやだったり、果ては「何処へ行くの、あの日」の絵麻だったり、
どれも社会的には許されない忌避すべき恋愛としての側面を上手く描き、その中でその背徳性を際立たせるものとなっていました。

それは決して兄妹の肉体関係をハッピーエンドとして全肯定するものではないかもしれません。

「Clover Point」では、世間の片隅で人知れず生きていくかのように、周囲に打ち明けられない影のある関係として。
「黄昏のシンセミア」では、周囲から手放しで祝福されない中、それでも正面から向き合っていかねばならない社会との闘いを示唆させるものとして。
「何処へ行くの、あの日」では、そもそも兄妹間の愛とは決して到達し得ない境地として。

往々にして兄妹モノというのはすっきりしない結末であることも多く、それらは結局、創作上でありながらも世間というモラリティに屈してしまっているからなのでしょう。
しかしながら、それ故に、当人と世間の狭間で藻掻くキャラクター達を真に感じることができるというのも確かです。
ですから、彼らが社会的には認められなくても、許されなくても、忌避されるとしても、誠実な愛情で結びついた一握りの幸せを、その選択を、私だけは祝福したいと思うのです。

では、そうした“世間”という要素が作品内からすっぽり抜け落ちていた場合はどうでしょうか。
社会の目というものがあるからこそ、インセスト・タブーに対する葛藤は生まれてきます。

そう、この作品はそうした側面をスッパリと切り捨てているんですね。
まるで社会からそこだけ切り取られたかのように、唯一外界との繋がりといえば、右手を診てもらうための医者くらいだったでしょうか。
学園生活も、両親の姿もそこには実態を持って描かれていない。
つまり、葛藤だとかそうした面倒事を一切描写する必要がなく、プレイヤーもまた余計な気を回さずに済んでしまう。
エロゲ媒体の持つ閉鎖的な箱庭性質を存分に活かしていると言ってもよく、まさに、マイシスターズとの楽園だ。
こんな世界で、兄妹で愛し合うのはああだこうだとご高説を垂れたところで、滑稽にしか映らないのは火を見るよりも明らかでしょう。

>>本当に好きならエッチしたくなる、兄妹だろうとそれは普通だろ

つぐみルートでの主人公がスパッと言い放った台詞ですが、なんと潔いことでしょうか。
倫理観だとかタブー意識なんてものは、結局のところ体の良い言い訳、逃げ道に過ぎず、兄妹が愛し合うという行為に対して反論材料とするには的外れもいいところです。
“愛”は報われなければならないという物語的な肯定をもって、この兄妹の甘々なストーリーは読者の合意の元、純愛へと昇華される。
エロゲの世界でなら、こんなお伽噺も許されます。

斯くして本作は、合理的な舞台まで用意して障害の芽を摘み取ることで、兄妹のえっちな日常を守り切ることに成功しました。


以上を踏まえて、近親恋愛とは決してタブーという一面を押して語られるわけではなく、兄妹の自然な距離感や気の置けない関係、その独自性自体が真髄だと、本作をプレイしながらしみじみ思えたんですよね。
前提を覆すようですが、タブーに伴う非日常感とか背徳感とかいったものは、あくまでドラマ性を演出するための付加的要素に過ぎなかったのです。
ええ、なんとも当たり前の結論に落ち着きました。

それゆえに、この作品ではストーリー性というものには重点を置かず、ただただ兄妹のあるべき姿、あるべき日常が綴られていくだけなんですね。
にも関わらず、キャラに萌えて終わるだけの単なる“量産型妹”に成り下がっていないのは、兄妹としての自然な形が文脈に表れ、キャラクターが生きていることに他なりません。
なればこそ私は、妹たちのその生きた声を聴きたいがこそ、何度でも本作を通じて触れ合おうとするのでしょう。
倫理観とか道徳観とかそういった社会的モラルに囚われない、ただ有りのままの兄妹愛をそこに求めるように。