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くるくすさんの夏の終わりのニルヴァーナの長文感想

ユーザー
くるくす
ゲーム
夏の終わりのニルヴァーナ
ブランド
ぱじゃまソフト
得点
80
参照数
576

一言コメント

寂しい話だった。エンドロールの後に何とも言えなくなった。各編を個々に眺めるなら「ちょっとイイ話」レベルに止まっているものの、構成の良さがプラスに働いている。仏教チックな世界観は好き嫌いが分かれそうだが、いつもの「ぱじゃま節」を楽しめた作品。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

(シナリオ素点の内訳は次の通りです。美羽夜編:70(点 / 満点100、以下同様)、那由編:80、玲亜編:70、業ノ章:75、久遠編:80)



 最後の夏。各人が「虚数の世界」で一瞬交差して、また元の自分の道に戻っていきます。チョット儚い雰囲気がツボでした。


※以下はネタバレ度70% (当社比)




■不条理
 よく輪廻転生の考え方では、現世の行いが来世(=転生先)に影響を及ぼす、といいます。私は特に何かの信条を奉じているわけではありませんので、ピンとこない世界観なのですが、「因果応報」と言われたなら納得いくのかもしれません。
 作中のサブヒロイン4名(ミハヤ・レイアとノノ・ナユ)は各々、存命中にとんでもなくヒドイ目に遭います。「親の死が偶然重なった」、「親のイザコザに巻き込まれた」、「病弱」……いずれにもいえるのは、彼女たちに落ち度はないということです。
 じゃあ何が/誰が悪いのでしょうか? 前世の行いですか? ということで物語は延暦13年にまで遡るのですが、やはりそこでも彼女たちは「悪くない」のです。いや、もちろん彼女たちにも責められるべき部分があります。特に美羽と奈津。その業(カルマ=「行い」)の影響が両名とも、「n次転生体」たる美羽夜と那由に及んでいるようです。しかし、現代の彼女たちがあそこまで苦しむ事由にはならないでしょう。
 つまり、因果応報の原理が正常に働いていないように見えます。現世と前世を合わせると「二重に」働いていません。何とも不条理な話です。(4名に共通しているのは「延暦13年に、久遠(=理のゆがみ)と密接に関わった」ことですが……真相のほどはどうなんでしょうね。あくまでもファンタジーなので、どうとでも妄想できそうですけど。)


■つながり
 彼女たちがとりわけ散々な目に遭っているというだけで、不条理なんて多かれ少なかれ、誰にでも降りかかってくるものだとは思います。何時の時代にも繰り返される不条理の中で、何が希望として見出されるのでしょうか。本作は「(特に人と人の)つながり・縁」を価値あるものとして訴えようとします。
 サブヒロインのシナリオの中で、良かったのはナユ編かなぁ。那由自身も、「前世の那由たち」もみな「私の人生って何だったの?!」と運命を呪ったに違いありません。(何代にもわたって重なってきた負の感情は、確かにナユの手に余りますし、なるほど鎮めるには主人公の助けが必要だったのかもしれませんね。この辺の解釈は難しそうです。)では彼女の生涯は虚無だったのでしょうか。どうしようもない不条理は確かに存在して、それこそ主人公のような「天」にでも解決を願うしかないとしても、諦念と引き換えに彼女は救いを与えられます。あのコスモスの花畑はもちろん、これから彼女が回復していくのであろう「つながり」の示唆。那由ならきっと、浮島でナユが得たような「つながり」を、取り戻してくれる……そう期待したくなるシーンでした。主題を一瞬で切り取ったあのイベント絵は印象に残っています。
 と、サブヒロインたちの「孤独から脱却して、生気を得た」様子を描き出しておきながら、本作はクオン編では逆を行っています。主人公は「孤独を選んででも、生気を得た」のです。そりゃ確かに「ふたりきり」というとロマンチックに響きますけど、現世で玲亜たちが「光の糸」で再統合されている側で、外界との糸を全て断ち切ってしまう主人公。実に寂しい話ですよ。
 その代わりに彼はクオンを得ることができました。「ふたりきりの世界」とは恋愛の究極形の一つなのでしょうが、ともすると「ボッチの美学」に陥りそうなテーマを、本作はいわば「天秤」にかけました。ですから、最後に彼に残された光の糸「クオン(だけ)とのつながり」が、他の糸と同じ程度に、質量をもって読み手に訴えかけてきます。きっとクオン編は悲劇と分類されるべきなのでしょうが、ラブストーリーらしい終わり方でした。


■不満点
 不満はいくつかあったのですが、一つ挙げるとするならキャラ造形の極端さでしょうか。例えば、潔癖過ぎるレイアと、やたら迷信深いミハヤ。彼女らの奇特さ、及びそれを形成した生育環境は、前世から繰り越された「業(カルマ)」に(程度の差こそあれ)起因するのでしょう。ただ、性格が極端で普遍性を欠いているがゆえに、標準的なプレイヤーから共感を得にくいのではないかと心配になります。ミハヤ編やレイア編は、自省するための猶予(モラトリアム)を与えられた彼女たちが、「大切な何か」をみつけて、まっとうに立ち直っていく物語。ええ、もちろん感動的なんですよ。最後のシーンで両者とも本当に良い表情を見せてくれます。だけど彼女たちの「お悩み」は、私からすると単なる子供じみた思考停止や幼児退行のように映って、少し興ざめしてしまうのです。学園生の割には彼女たちの考え方は少々稚拙に思えます。(ナユが平凡ながらも光っていて、どうしてもレイアやミハヤと比べてしまうフシも、あるんでしょうけど。)


■まとめ
 各編を個々に眺めるなら「ちょっとイイ話」レベルに止まっていますが、各編のつなぎ方・組み合わせ方が上手で、最後のクオン編が感慨深いものに仕上がっていました。
 不条理の中でも「みんな、一生懸命、生きていた」と、主人公は人間たちを羨ましそうに見つめます。いや、最適解を探し当てた彼も、「一生懸命」だったと少し胸を張ってもいいと思います。




[キャラクター]
 那由 ≧ 美羽夜 = 久遠 = ノノ > 玲亜
 「こちらの言う事を聞かないヒロイン」が笑いにつながっている一面も、もちろんあるのですが、一部シーンでは「やり過ぎ」に陥っています。一例を挙げるなら、BBQの後片付けを主人公に押し付けたりとか。
 ややガキっぽくて天然っ気のある主人公は、他のプレイヤー様にはどう映るでしょうか。正直なところ当初は「迦留魔天(笑)」と思っていたのですが、最後は印象的にキメてくれましたし、総合的には良いヤツだったんじゃないかなと。あと、「裁きの間」で彼が各サブヒロインを訓戒する様子は見所です。プレイヤーが各ヒロインに言いたくなる事を、彼が見事に代弁してくれますので。
 ただ、終盤で千手がズバッと「おまえが救いたいのは、本当にクオンか」と切り込んでいたように、彼の最後の行動が「償い」になるのかどうかは疑問です。自己を正当化している部分も、半分くらいはあるはずです。それで充分だとも思いますけど。



[余談]
 エンドロール後に閲覧できるサイドストーリー(?)である「悠久ノ章」では、「ここは涅槃(ニルヴァーナ)」と明言されています。外部との縁が消滅して輪廻からも外れていて、もはや苦しみがないから、なのでしょうか。あるいは、クオンとセカイとの間で板挟みになった主人公が「目の前の、一番近くにいる、こいつを救うんだ」という「簡明な真理」に至ったからなのでしょうか。あるいは……。制作側の意図を掴みかねます。
 とはいえ、おにゃの娘とふたりきりで無為に過ごす日々を「ニルヴァーナ」とは言い表しにくいように思います。「おまえが救いたいのは、本当にクオンか」と、私も彼に詰問したくなりますから。あまり仏教に詳しくないのでお恥ずかしい限りですが、私の言語感覚だと、ニルヴァーナとは「執着の炎を鎮めに鎮めた果てにある状態」といったところで、主人公よりもむしろ千手の見解に共感できます。例えば千手がこんな言い方をしています:

千手「涅槃(ニルヴァーナ)の先に向かうことはできぬ」
千手「その地に辿り着いても、我らの性も定めも変わるものではない」
千手「我らは、みな等しくして、咎人だ」

そうそうニルヴァーナに至れるものではないのでしょうし、仮に誰かが「これがニルヴァーナだ!」と悟ったとしても、そんなに人間の性根は変わるものではなくて、早晩落ちぶれてしまう……みたいな。もっとも、作中においては「ニルヴァーナ」の定義が曖昧なので、議論したところで詮方ないのでしょうけど。
 諸方面からお叱りを受けそうですが、ニルヴァーナに到達できなくても、いいじゃないですか。多分、彼も千手も「生きていた」んだと思います。中々ニルヴァーナに至れない者たち、その方が「らしくて」私は好きです。あまりレイアのように潔癖過ぎるのも、身体に悪いのでしょうし。本作は仏教にヒントを得たファンタジーとして、「業」とか「縁」とか「因果」あたりに踏み込むだけで充分だったはずで、わざわざ「ニルヴァーナ」という用語を持ち出して「ふたりきりの世界」を美化したのは、いささか勇み足だったのかもしれません。


■2013年10月26日 一部書き改め