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@ajuiceandpieさんのさくらむすびの長文感想

ユーザー
@ajuiceandpie
ゲーム
さくらむすび
ブランド
CUFFS
得点
100
参照数
337

一言コメント

傷口を優しく撫でられるような痛みと充足感

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

ピアノを主軸にした暖かい旋律、陽だまりを思わせる優しいグラフィック、丁寧に描かれる平和な日常……

本作を構成する要素の何もかもが私の渇望に突き刺さった。
場面の一つ一つが呼び起こす感傷が痛気持ちいい、古き良きエロゲだ。

全体的に柔らかい印象を与えるシナリオだが、その裏に被差別階級、近親相姦の暗いテーマが見え隠れする。
物語を理解するうえで必要となる事実はハッキリと明示されるため、隠れ要素は別に無視してもいい。
というのも、拾い上げたところで明確な答えは作中で明らかにならないため、考え過ぎてもモヤモヤするだけなのだ。
バランスのとり方はユーザー次第だが、あくまで心温まる物語として読んでいくのが、
製作者の想定に近いのではないかと思う。
私自身は被差別階級の歴史についてあまり詳しくないので、その辺りの事情が考察を読んでもあまりピンと来なかったというのもある。
素直に読んでいくと、各考察サイトで語られているような悪意のある話だとは到底思えないし、思いたくない。
この得点を付けたのがそういう人間であるということは留意してほしい。



三人のヒロインには、それぞれ自分が属する『家庭』と、理想とする世界が存在する。
それは、
『家庭』とイコールであったり、
『家庭』の変質を望んでいたり、
『家庭』との両立が不可能であるなど、ヒロインごとに明確に異なる立場が位置づけられている。
桜は『血縁』
可憐は『身分』
が障壁になっていて、紅葉に関しては強いて言えば……圭吾が振り向いてくれるかどうか?

どのルートでも共通なのは、告発のために作られた演劇『桜結び』で語られる圭吾の出生の顛末が、
少なからず圭吾を取り巻く世界へ影響や相似をもたらしていることだ。

よって各ルートでは、『桜結び』についての、
ヒロインと圭吾なりのアンサーが提示されていく。

桜と可憐のルートでは「互いが結ばれることを許さない大人の元を離れて二人の居場所を作る」、
駆け落ちっぽい展開自体は共通しているが、細かいテイストには明確に違いがある。

特に可憐ルートは、産みの父親の悪行によって可憐の両親から一方的に疎まれる圭吾と、
それでも圭吾に惹かれている可憐とで、『桜結び』とは男女の立場が逆転しているのが対照的だ。
可憐の方から駆け落ちを提案する場面では、明確に『桜結び』とそれにまつわるしがらみを否定する意思があり、
読んでいて清々しかった。圭吾の成長を最も促したのは可憐だろう。
駅での問答のシーンは可憐が強すぎて圭吾がヒロインになってた。
邦彦との和解もジーンとくる。
共依存ではなく、自立心が芽生えた上でお互いがお互いを必要とする、
その上でなら、身分の違いも経済的な困難も些末にすぎないのかもしれない。
桜ルートで同様の道筋に至るまでに二年待つ必要があったのは、
桜にその自立心がまだ備わっていなかったからだろう。


対して桜ルートで興味深かったのは、ルート確定後に桜を突き放すか受け入れるかどうかで分岐する点。
突き放すとなんと圭吾の方が自暴自棄になって桜と心中してしまい、
受け入れることで前向きなグッドエンディングを迎える。
このルートで桜の考えは変わらないので、圭吾の気持ち次第で結末が変わるということだ。
また、このルートで際立っているのが、近親相姦が『禁忌』であることに一切の言い訳が無い点。
桜と圭吾の異常な結びつきに困惑する周囲の反応、経済的な困難。
当人に愛さえあれば問題ない、という欺瞞による逃げが存在しない。
そのため、最初のHシーンはもの悲しい空気の流れる独特な感触がある。
可愛らしい絵柄とは裏腹に、ひたすらグロテスクに映る兄妹の愛情も印象的だ。
これらが単なる『妹萌え』に納まらない感情を読者に味合わせている。
幸せな家庭を崩壊させてまで妹に手を出すのか、という問いかけが圭吾の独白を通して読者に突き刺さるのだ。
実際、禁忌のラインで揺れ動く圭吾の感情の動きはかなり気持ちが悪い。
桐山桜を『キモウト』と揶揄する文章が見受けられるがとんでもない。
このゲームで一番気持ち悪いのは主人公の圭吾だ。
だから、バッドエンドの心中が幸せにも綺麗にも見えない。
残された紅葉や秋野夫妻、可憐、邦彦、龍馬のことを思うと二人の死はただただ痛ましい。
エロゲ―で美しく描かれがちな自殺、心中を強い意志で残酷なものとして描いている。
その姿勢を評価したい。(ひたすら独善的で破滅に酔ってる心中エンドも好きですけどね。)
この土壌があるからこそ、ありきたりなグッドエンドに価値が生まれる。
全員の理解を得られるわけがないけれど、それでも自立して二人で生きていられる居場所を作る。
この物語の締めくくりはそれで充分だろう。
しかし、他のルートの桜は何だかんだ身を引いて分別を覚えるようになる(可憐ルートは一筋縄でいかなかったが)ことから、桜のブラコンは圭吾が思っているほど深刻なものではないということがわかる。
精神的発達の途上で解消するものだったのだ。桜の成長を妨げていたのは圭吾、あなただったんだね……。

本作のグランドエンディングは実質的に紅葉ルートになるだろう。
このルートでの『桜結び』に対する回答は「お前らと違って本気で愛し合ってるから絶対に失敗しない」、
という頼もしく力強いものだ。
なにせ共通ルートの時点で二人の無自覚な好意の応酬は目を見張るものがあったし、
今更彼らが幸せになることに疑問を挟む余地もない。
散髪、クリスマス、三送会、卒業式。身悶えする展開の連続で読んでいるこっちまであてられてくる。
ダダ甘なカップルをひたすら見せつけられる後半のシナリオに満足感があるのも、
序盤からの積み重ねがあったからだろう。
「私、いいよ。勘違いされたままで」
「ちょっとくらい下心があってもいいよ」等々……。
幾度となく死にたくさせられた言動の数々。
心中エンドやクリスマス会中止などほかのルートで沈痛な感情が募っていたこともあり、
全てが報われたような思いだった。三送会が見られるのもこのルートだけだし。
序盤から中盤を読んでいた時の感傷的な物思いはどこ吹く風。
オールクリアしたら虚脱感で死んでしまうのではないかと思っていたけど、
存外に爽やかな心持ちでいられているのは、一貫して生命賛歌なシナリオのおかげだろう。
暗い感情を持て余していたせいで途中本当にしんどかったけど。
こういう暖かい家庭の話がもっと読みたいと思うようになった。


やっぱ、BGMが最高なんだよなあ。
幼児期のひたすら眩しかった日々への追憶が込められているというか。
存在しない幸せな記憶すら掘り起こしてくるような……。
それで死にたくなるんだけどね。
私は存在しない架空の実家への妄想と憧憬が止まらなくなった。

人生って、このゲームの中にあるものだけあればいいよ、もう。





以下、取るに足らない考察。


本作を100パーセント楽しみたいなら本筋以外の考察はするべきでない。
邪推の域を出ないからである。
よって裏設定に興味が無いなら他人の考察も読まない方がいい。私は正直不愉快だった。
だが考察を読んでしまったがために自分の中で整理したい情報、吐き出したい感情が出てきたので、
その考えをまとめておく。
他人の考察に興味がある人以外読まないで欲しい。不快になると思うので。





1.金村世津子の素性について
ネットでは金村の家がある辺りが被差別部落であるという意見が見られる。
その根拠として

・街灯が無く舗装もされていない道
・川の向こう側にある(そういう立地が多いらしい)

この二つがあるが、CGを見るに、
こういう田んぼとあぜ道しかなくて夜は真っ暗、ちょっと移動すれば都市部に繋がる、
そんな田舎ってどこにでもあるというか……私の育った地域がそうで。
このくらいの根拠で部落って決めつけられるならうちだって部落だわ、と。
仮にそうだったとして町議会議員の秋野の家がその近くにあるのっておかしくないか?
私たちは差別しませんよって意思表示? そんな解釈は悪意がありすぎて嫌だ。
プレイ中の私の感覚では、世津子の現実離れしているという容姿や、可憐が身分の違いを国籍に例えていた描写から、
日本に帰化した在日外国人なのかもなあ、程度に考えていた。
あの辺りが被差別地域なら商店街のシーンとかもうちょい周りから白い目で見られてるだろうし。
このあたりの解釈はユーザーの年代、時代の違いによるところが大きいのかもしれない。
ただ、紅葉ルートの中で『橋を越えた先に廃れた集落があり、近寄ってはならないと教えられた』という描写がある。もし仮にこれが被差別地域を指しているなら、「金村の家は圭吾を育てるにあたって新しく建てた家で、移住したことをきっかけに金村家は元居た地域から攻撃の対象にされている」という仮説も成り立つ……やっぱこれ嫌だよ。
考えたくない。


2,可憐の生い立ちについて
考察記事で最も議論に上がるのが可憐の産みの両親についてだ。
特に有力視される『可憐・圭吾兄妹説』は

・出生時期的に、可憐が瀬良夫妻の実の子供であるとは考えにくい
・いくら桐山亮一がひどい男で金村世津子が被差別階級の出身であるとはいえ、
 瀬良光博が圭吾を拒絶する態度は過剰すぎる

主にこの二つを根拠としているが、
私個人の意見としてはこじつけに過ぎないと考える。
可憐と圭吾に本当に血縁関係があるのなら、それが目に見えない『化け物』の正体であるのなら、
なぜ秋野夫妻はその『化け物』を「取るに足らないもの」と一蹴できたのか。
血の繋がりのない義兄妹である圭吾と桜の関係は容認できなかったにも関わらず、である。
(これは圭吾の短絡的な態度によるところもあるが)

秋野夫妻が欺瞞に満ちた偽善者である。
秋野夫妻は近親者が結ばれること自体には抵抗が無かった。
秋野夫妻はそもそも全容を把握していない。
などの前提が無い限り整合が付かないので、私はこの説を基本的には支持しない。
可憐の出生時期に関しては物語上の都合と考えるのが妥当な線だと思う。

その上で瀬良光博の不可解な態度を解決させるとなると、
「瀬良と桐山は親戚関係にあり、瀬良光博が気にしていたのは金村世津子の血ではなく、瀬良と桐山の血の繋がりだった(可憐は瀬良夫妻の実子)」
という仮説がまず浮かぶ。
これなら秋野夫妻が気にしていなかったのも
「遠い親戚くらいならいいだろ」程度の考えだったということで納得がいく。

より踏み込んだ推察をするなら
「桐山亮一はもともと瀬良家の人間であり、光博とは兄弟であったが、金村世津子との一件で家のメンツに泥を塗ったことから勘当を受け、苗字を変えさせられた(可憐は瀬良夫妻の実子)」
と考えることもできる。
これは桐山の実家が作中で一切出てこない疑問も払拭できるので一石二鳥だ。
忌み子である圭吾を養育し、瀬良家との関係を秘密にし続ける見返りとして、
金村家が瀬良家から受け取っていた金があの通帳であるという見方もできるだろう。
通帳の金に関しては桐山夫妻の死亡保険程度に考えていた方が遥かに善良で健全だが。
さらに、瀬良光博自身は圭吾と可憐の関係に反対してはおらず、
実家の反発を免れないためになんとか引き離そうとしている、との見方もでき、納得度は高い。

この亮一・光博兄弟説の派生として
「圭吾の生後、亮一と世津子の逢瀬で生まれてしまったのが可憐で、秋野楓の精神状態を考慮して瀬良の家に引き取られ、その代わりに亮一は勘当された。(可憐と圭吾は正真正銘の兄妹)」
これは前述のとおり、秋野夫妻の人格や事情の把握度を疑問視しなければ成立しないので可能性の話でしかない。

いずれにしろこじつけでしかない。
そもそも瀬良光博が圭吾の血をそれほど憎悪しているのなら、
普段から瀬良兄妹と圭吾が親密にすることを良しとはせず、桜丘への進学など認めていないはずなのだ。
圭吾たちの学園生活は基本的に大人達の良心によって成り立っていると考えた方が自然だし、幸せだろう。
こんな些末で下賤な考えで本作を楽しめなくなるのは勿体ないというほかない。無意味だ。

2ルートクリアした辺りで裏設定が気になり始めると思うけど、
フルコンプ前に考察サイトを見るのだけはやめよう!