駆け足すぎるのが災いしまくっているがそれでも完成度は高い。イベントCGは無い。
妹、ざくろの絵を書くことに執着した兄、阿児弥と、それを甘受するざくろの話。
共依存にも似た兄妹の関係性は魅力的だが、妹ゲーだと思って購入すると肩透かしを食らう。レビューを見ればわかることなのだが、何かしらの関係性の変化が描かれていればそれで満足する可能性があったので私は気にせず購入した。
結果として妹ゲーとしては満足出来なかったがノベルゲーとしてはそこそこ楽しめた。
この作品のテーマは『創作』であり、何かを創造することで生まれる現実との乖離に向き合い、責任を持って作品として昇華することを推奨している。
作中で阿児弥は、ざくろを通して見た自己の美的感覚を絵画に落とし込むことに囚われている。ざくろの外面をどれだけ愛そうとも、その内面には一切の無関心であるどころか、歪曲した自分の理想像を押し付けてすらいる。ざくろもある理由からそれを肯定し受け入れている。利害関係の一致した二人が世俗から隔絶した部屋の中で倒錯した関係に興じていく序盤は引き込まれるものがあった。
ざくろの過去が暴かれる形でこの関係は進展を見せるのだが、この辺りから前述したテーマについての回収が始まる。
(以下物語の核心に触れるので注意)
ざくろの過去、そして本性が理想上のそれとはかけ離れたものだったことに失望する阿児弥は、今まで描いていた絵が偽物だったのかという苦悩に苛まれ、絵の描き方を忘れてしまう。それでも絵の中の自分こそが本物だというざくろ。この食い違いを作者は描きたかったのだろう。実在の人物を創作に昇華してしまえば、少なからずモデルとは違う存在が生まれてしまう。そのことにどう向き合うのかという問い掛けが作品の本筋である。阿児弥は現実のざくろを直視した上でざくろの絵を描いていくと決意する。現実と虚構の違いを受け入れどちらも尊重することが阿児弥の選択であり、作者としての答えでもあるのだと感じた。
物語を通したこれらのQ&Aは非常に明快で、メッセージ性だけで見るなら十分に優れた表現の作品であると言えるだろう。ただそれを表現するための無駄を削ぎに削ぎまくっているので、キャラクターの心情を理解するには行間も含めて読み込む必要がある。実際私も考えを改めて投稿するまでに一部文章を変更することになった。
まず妹ゲーとして見ると、兄妹という関係にあまり必然性が存在しなかったことは痛い。阿児弥は妹と禁忌を犯すことに対する葛藤が特に描かれず、終盤からの関係の破滅も、彼らが兄妹であるという理由とは別個のものである。二人で同居こそしているがその関係は主人と従者のそれであり、ざくろが阿児弥の妹でなく使用人だったとしても話は普通に成り立つ。むしろ主従という前提があった方が納得がいくものに仕上がっていた気がする。これに拍車をかけるのが阿児弥の学友の反応で、阿児弥の写生帳(スケッチブック?)が妹の絵だけで埋め尽くされているのを見ても、嫌悪感すら抱く様子がないのはかなり違和感がある。禁忌感を殊更演出する必要はないが、自然な描写ではないので気になった。
阿児弥の感情の変化が速すぎて初見では追いつけなかった部分もある。流れで性行為に及び、突発的な災害によって、最高傑作の絵とざくろ本人の二者択一を迫られ阿児弥はざくろの手を取るのだが、展開が駆け足に感じた。彼がどういう過程を経て創作に伴う痛みを受け入れたのかもう少し深掘りが欲しかった。
エピローグで語られたその後は、彼が画家として一つの到達点に達したことを示すのみであり、彼の内心についてついては説明不足感がある。彼がざくろの絵を描き続けたことが唯一の証明ということなのだろうが(この辺りは特装版の特典冊子で補完があるらしいが、入手法が無さそうなので言及できない)
以上から優れたテーマ性を持ちながらもキャラクターを描ききれていない惜しい作品、というのが私の最初の評価だったのだが、ラストを再読してみて発見したことがあった。
阿児弥は実際のざくろとかけ離れた、理想の存在を描くことによる痛みを許容して絵を描き続けると誓っている。それはざくろの本懐でもあるので妥当ではあるのだが、実際のざくろを受け入れるとは一言も言ってないのだ。というかざくろを受け入れるのなら理想の絵を描いても痛みは生まれないわけで、ざくろが理想とかけ離れた存在であることを許すつもりは無いということになる。彼はこれまで通り理想の中のざくろを愛し続け、理想とかけ離れたざくろには微塵の愛を注ぐつもりもないが、それでもざくろに生き続けることを命じたのだ。これに気付いた時作品の印象が大きく変わった。この解釈だと阿児弥のキャラクターとしての解像度はかなり上がってくるし何より最高に狂ってる。作者の想定と違うかもしれないが私はこう考えないと納得がいかない。
あくまで創作行為の上に縛られた関係であったがために、二人が恋愛関係で結ばれることは無いのだ。つまり二人の関係は本質的には冒頭部から何も変わっていない。真相を知った上でより強固になっただけだ。ある意味では美しさすら感じる。
一方で私が求めていたのが、ざくろの歪さを真っ向から受け入れて愛し抜くような物語だったのも事実だ。現実のざくろと恋愛感情で結ばれ、筆を折るエンディングも用意されていればユーザーに二者択一を突きつける意味でも効果的だったと思う。最初から最後まで恋愛の話で無かった以上、妹ゲーのPOVをつけることを多少躊躇させられる。
プレイ時間と描写の少なさがネックだが、読み込んでみると最初の印象より遥かにキャラクターを作り込んでいたことがわかって面白かった。妹ゲーとしては下の下と言わざるを得ないが、美しい物語に隠された狂気は中々に魅力的だ。
阿児弥のことばかり書いてしまったので、ざくろについて
阿児弥が描く絵画の中でしか自分の価値を見いだせないという痛ましさが根底にあるヒロイン。妹要素にあまり必然性を感じなかったのが妹好きとしてはかなり痛いが、キャラクター造形としては優秀だろう。先生にいいように調教されていた割に処女は守られていたのはちょっとご都合主義かなと感じた。醜い過去を暴かれ自棄になって兄と肉体関係を迫るエゴイズム、阿児弥の歪んだ愛情を認識しながらそれでも縋らざるを得ない弱さは非常に好みの人物像だ。
彼女が魅力的に映ったことには少なからず声優の演技も寄与しているところが大きい。
阿児弥が目の病気か何かで、実際のざくろが立ち絵とはかけ離れた醜女なのではとか、母と同居している際に本物のざくろは死んでしまって阿児弥といるざくろは偽物なのではなどの予想をしていたが全部外れた。(阿児弥の病気はニアピンだったが)
惜しいところが多いが完成度はかなり高い。こじらせた妹ゲーマーは注意が必要だが、偏愛や共依存、すれ違いが好きな人は概ね満足できる作品だろう。
あと、難読漢字に一切ルビが振られておらず非常に読みにくかった。序盤が特に顕著で中盤以降は難なく読めることが多い。大正時代という時代設定による演出だと思うが、ルビは振ってほしい。