「俺のために書いてる?」と思わせるような指向性の強さを感じた。(11/13追記)
大した不自由もなく暮らしているのに破滅願望があって、
自分から不幸になりに行ってる人間にとっては純度100%の救済みたいな作品。
ダークなミステリー小説が好みだけど、結局モラルの肩を持つのがたまに嫌になるんだよなって人にもおすすめ。
何しろ文章力が並みのライターの比じゃない。
シナリオの構成も優れているけど、語彙とユーモアの下支えがかなり効いている。
露悪的で反社会的な内容なのに嫌悪感が無いどころかむしろ爽やかなのは、
夏月の行動を否定するどころか全肯定しているからだろう。
普通ならもう少し時間をかけて描写するであろう谷口との対峙をあっさり終わらせた辺りで、
本当に夏月たちがやったことの是非を問うつもりが無いんだなと思った。
倫理と良識を完全に無視しているからこそ、フィクションと割り切って楽しめた。
サブキャラの使い方も滅茶苦茶良い。
特に勝俣の正論、正義、正気の権化のような長尺セリフは秀逸。
立ち絵無しキャラだと『教皇』がお気に入り。
序盤で死ぬちょっと強いジジイが大好きなので……。
参考文献に目を通すと、
荒唐無稽なシナリオとは裏腹に相当な下調べと考証を重ねたことが伺える。
それか元々こういうジャンルに強いのだろうか?
フリー部分だけで完結しているのでまずそちらをやってみてもいいだろう。
とまあ無料部分の水夜ルートは非の打ち所がない出来だったのだが、
追加シナリオは……
簡単にいうと、伊藤計劃のハーモニーから君と彼女と彼女の恋を経由して旧劇エヴァに無理やりギアチェンした感じ。
メタフィクション色が強くなってきた辺りからはちょっと理解が追い付かなかった。
でも「私は200kbの女の子なんだ」ってセリフは痺れたな……。
まあ自分なりにこのルートを解釈するなら、
なしひと氏は『さよなら、うつつ。』を無料部分で完膚なきまでに完結させたつもりだったのに、
エンディングに不満を持つ人が存外にたくさんいて「金は払うから別のルートも書いてくれ」みたいな声を受けて、
ブチギレながらそれまでの話をひっくり返すような蛇足を全力でお出ししたって感じ?
全部読んでからだとスタッフロールの支援者の皆さんって表記になんか嘲笑じみたものを感じる。
作者の分身と言っても差し支えない羊おじさんの激怒っぷりは、凡百のハッピーエンドを望むような読者に対する憎しみがこもってたし、水夜ルートを逆行して羊おじさんを全否定しにかかる夏月はそんな読者の願いを叶えるための動きをしているように見えるし。
あるいはそんな愚痴の意図は全然無くて「本当にハッピーエンドが嫌いです」という意思表示?
本当に意図がつかめないんだけど、これだけ盛大にちゃぶ台返してる割にはこのシナリオを「蛇足」と言って欲しそうな空気を感じるんだよな。
もしくは私がそう思いたいだけか。
はっきり言って気に食わなかった追加シナリオだが、これを読んだとて水夜ルートの価値が目減りするようなものでは無かった。むしろ読者にどちらのエンドを是とするか委ねられたことで、私は堂々と水夜ルートが至高だと断言できるのかもしれない。
なので私はこのハッピーデッドエンドを蛇足だと位置づけます。ました。
水夜ちゃんラブだし世界は救われ続けている!
2022/11/13 追記
追加シナリオ『さよなら、ゆめ』を読み返してみて、ラストで何が起こったのか自分なりに考えてみたので書いてみる。
まず前提として重要なのが、羊おじさんの部屋で説明された多世界論だ。
作中の宇宙は複数の世界が何層にも折り重なっていて、
羊おじさん倶楽部
↓
間宮夏月の世界
↓
ムンドゥス
という上下関係になっている。
羊おじさん、水夜はそれぞれ自分の一つ下の世界を自由に記述することができ、これが『神』と呼称される存在ということになる。
ラストの電波塔のシーンは、
夏月がムンドゥス内で水夜を殺したことで、水夜の記述するムンドゥスごと二人のアイデンティティと意識が崩壊し、夏月が父親になる世界と合流した、ということだと思う。
羊おじさんも一緒に消滅したのは説明がつかないけど。
なんでこれが水夜を救う唯一の方法なのかわからなかったが、
https://web.archive.org/web/20220507160038/http://nidosina.blog.fc2.com/blog-entry-7.html
こちらの記事やサークル主のツイートを読む限り、
生殖の発生しない空虚な恋愛感情からの解放=エロゲの否定をしたかったということか。
であれば、ムンドゥス崩壊後の世界で夏月が我が子を見て言い放った、
「だって『さよなら』なんて言葉は、僕らと君たちの間にはきっと似合わない」
『さよなら』とは『さよなら、うつつ。』『さよなら、ゆめ』で語られた物語であり、
ひいてはエロゲにまつわるオタクたちの欺瞞、保身、自己正当化……。思春期から抜け出せない価値観を総称し、
子供と向き合うのにその思考は不適当であるということか。
夏月の涙は、後悔ではなく、自分の信じていない価値観を信じ子供に信じさせる義務への苦悩だったのか。
この解釈でも納得しきれない部分はあるが、
オタクの良く言う「守ってあげたい」に、守るという責任の所在が一切存在しないことの欺瞞には覚えがある。
私が初見攻略時にこのような意図を見出さなかったのはご覧の通りであるが。
一つ言えるのは、『さよなら、ゆめ』のエロゲ否定は私にとってのエロゲの価値を毀損するものではなかった。
まあそれは私が好きなエロゲがイロモノばかりだというのもあるが。
エロゲの恋愛が「ダメな恋愛」なのは完全同意だし、私は「ダメな恋愛」が見たくてエロゲをやっているので。
あるいは「ダメな恋愛」を憎んでいるからこそ、エロゲでくらいは救われて欲しいと思う。