soulfeeler316さんの「アインシュタインより愛を込めて」の感想

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ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

ハローサマー、グッドバイ
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あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。
あの一軒では、読書したり、思索したり、打明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。
また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。
それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。
中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思しい、いともつつましやかなのも認められた。
しかしまた他方、これらの生きた星々のあいだにまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんとおびただしく存在することだろう……。
努めなければならないのは、自分を完成することだ。
試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『人間の土地』
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☆攻略順
ノーマル→西野佳純→坂下唯々菜→新田忍→有村ロミ((ルートロック)
・最初に有村ロミを選び続ける(均等にヒロイン選択していく)と、ノーマルエンド。「VSエアコン」は、ロックが解除されると読めなくなるので、予め読んでおいた方が吉。そして、再帰を図りましょう。
・西野は他と比べると、最も「謎」に絡んでないシナリオです。だから最初にプレイしても良いし、本ルートにおける他ヒロインを想って苦悶したいなら、別に最後の方でも構いません。
・唯々菜と忍は対比的内容となっており、「謎」の不足分を相互で補う形になっているので、どちらからプレイしても可。個人的には「物語全体における重要度」を鑑みた上で、上記攻略順を推奨します。










1.プレイ所感
終わっちゃったな。ああ、終わってしまったな。

このゲームクリア後に生じる喪失感だかモヤモヤ感だか、様々なものが渦巻いて犇めき合って、よく分からなくなってしまう感覚が嫌いです。エロゲデビュー時からその手の事象に、僕は慣れる事無く悩まされてきました。
本作においてそれはどっちだったんだろうと、書いている今、改めて思うんです。充実から来る喪失感か、消化不良から成るモヤモヤ感か。若しくはどちらともなのか。
精一杯吟味して考えて感じ尽くしてみた結果、第三の選択。どちらともだったんじゃないか?って見解に至ります。この『アインシュタインより愛を込めて』は賛否両論になるのも納得って言うか、面白い面白くないと語る以前に出来が良い悪いで、この先も議論されちまう事でしょう。そこは恐らく揺らがないと思うので、此処ではっきり断言しておきます。

言い換えるなら、本作に対して向けられる想いってのは「好きになれるか」が鍵とも言えるんです。万人において名作と呼ばれる作品は存在しませんし、そんな世界の中で生まれた本作もまた、確実に名作と称せるモノではありません。人によっては難点が目に付きすぎて、好きになる以前の問題と化す事でしょう。
ただ、僕は「嫌いじゃないな」と思いました。感性が宇宙を含めた世界に対する想いで満ち、サンテックスや宮沢賢治を読み耽っていた在りし日の情景を思い出し、彼等を読んで自然と想起される「不器用ながらも真摯な姿勢」「他者を救う為なら厭わない自己犠牲」「全てに通ずる確かな愛」を、微少ながらも感じてしまったんです。

それは僕の妄想に過ぎないかもしれないし、そう覚えた所で不満もあるのは変わりません。でも「嫌いになれない」と言った感覚が僕の中に芽生えたのも事実であり、これもまた1つの本心であります。非常に「心」とは厄介なモノです。
だから、その「気持ち」を何とか理解する為に、今回も精一杯語らなければいけないと感じました。
そういう見解に至ったのはどうしてか。本批評では、そこまでの経緯と感想について僭越ながら書かせて貰います。いつもと同じ、くだらない事しか書いてない散文ですので、お暇でしたらどうぞ御笑覧下さい。暇潰し程度には読めるでしょう。





2.不満点
あまり後に回したくないって想いと、それでも語っておかなければならないと思い、最初に述べさせてもらいます。

α.説明不足
正直申せば、僕がプレイした新島作品の中でも、取り分け目に見えた説明不足が多いと言わざるを得ないでしょう。
愛内周太を基点とした「謎」部分については、概ね回収されています。しかし、彼を取り巻いていた「世界」の全てが理解出来たかと問われたら、首を横に振らざるを得ません。
その中でも特に「有村ロミ」に関するあれこれの放りっぱなしは、作中でもかなりの深刻レベル(最後に周太の口から「お前の話を聞かせてほしい」と言わせている時点で、これは確信犯ではないかと思われます)
「アポロ食べたい」ってどういう意味? 星まりすがロミに伝えたい大事な事って何だったの? ノーマルルートの彼女は何故アインシュタインと共に居るの? どうして比村茜は海で溺れた時に助かったの? 周太の電話番号を知っていたのは何故? 自分に未来は来ないと悲観的な訳は? 血液型が不明だった理由は?etc……
他にも、モーメントであるミコを動かしている魂の正体(と言うのも変な話ですが)や、何故周太にだけは矛盾した異質の反応を示してきたか(父親の復讐を恐れていただけって事で良いのか?)と言った疑念事項も少々芽生えた始末。ミコという存在に、そんな彼女の実情に、明確に突っ込んだのは最後の方だけだったので、そこら辺の部分をもう少し描いて欲しく感じたのがささやかな本音でした。AIがどう思っているかなんて知らねえよと言われたら、それまでの話なんですけど。

まあ兎に角、本作は偏に説明不足が否めないと感じ、その不明点が作中だと碌に解消されないグランドルート終盤は流石に看過出来ず、苦言を呈さざるを得ない結論に至りました。
勿論、考察と言う形で予想する事も出来ます。上記の疑問点を羅列して考えると、ロミに対しては、1つの予想も生まれるでしょう。細かい所が微妙に符合しない為、あくまで仮説に過ぎませんが「有村ロミは人間ではない?」と言う懸念だけは、僕の中でも生まれた次第
しかし、得てして考察と言うのは判断材料から推論を導き出して、証拠を提示する事で実となる行為です。本作に限ってはそのピースが悉く足りてないように感じました。「推論」までは到達出来るにしても、それを決定付けるだけの「証拠」が致命的なまでに欠けており、ちょっとした描写で疑わしさを解消させるだけの確実性を、徹底的に見せてない印象を覚えたんです(じっくり48時間プレイした所で見落としている可能性は大なので、あくまで個人的感想)
本作には「どうしてそのように導かれるのか?」と、至る為の布石が作中でしっかり描かれていません。要するにプレイヤーが想像(妄想?)で好意的に補わなければならない部分が、あまりに多すぎるんですね。

僕も考察は好きで、結構色々したりしますが、本作においては流石に「うへえ……」と溜息を漏らしたくなりました。場面カットした?と疑わしき箇所(「ロミルート9月16日「『……携帯? 今日はいろんな奴からかかるな。』←片桐からしかかかってきていない」「共通ルートが体験版だけ」「グランドルートのタイトル回収→後日談」etc……)も散見されたのが、本作に対して更なる疑問を感じさせます。
それ即ち「果たして新島夕氏はそこまで考えているんだろうか?」と、自身の行動に対して無意味性を生じさせてくる懸念であり。ユーザーに疑惑の拍車をかける事で、態々「信じる」を御教授して下さる内容と相成った始末。いやはや、実に見事と言った所なのでした。


β.描写不足
描きたかった事は分かるんです。父の愛、妻の愛、子供の愛、恋人の愛、親友の愛、それらを受け取って芽生える世界への愛。くそったれな事ばかりの何も見たくない世の中で、信じられるモノを得たからこそ、変えられてしまう生き様だったり、そんな変化が無性に眩しく感じたり。そんな素早すぎる時間の変遷に不安や焦燥もあれど、前を向いて生き続ける姿こそ強く尊ぶ「在り方」の話。僕としても、そのメッセージ自体は至極好ましく感じました。
ただ振り返ってみると、それを描く上で全てが充足していたかと問われたら疑問符を浮かべたくなるんですね。例えば、お父さんは酒浸りの疑心暗鬼状態でありながら子供に手を上げない時点で、親としてかなり真っ当な方だと思います。しかし、だからあのタイトル回収→エンディングで感動出来たかと言えば、別にそうでもなく。寧ろ「え、終わり!?」と逆に驚愕した閉幕と相成った次第

グランドルートで、愛内浩太が息子の周太に明確な愛を示していたのは分かりました。しかし、理解は出来ても納得が難しい。それは偏に、作中における「父」の描写が不足していたからだと感じた始末
父親への想いが忍ルート以外では全く言及されず、最後のグランドルートだけ重点的に述べて綴じられると言うのは、この結末にしたかったなら悪手だったんじゃないかと思います。彼の「父親」に対する価値観を共通ルートから小出しで述べていき、最後にタイトル回収をした上で以降の描写をカットせず紡ぎ、父と息子の「愛」を、最後まで逃げずに描いて欲しかったのが正直な所。あそこでグランドルートのエンディングになる位なら、もう少し長く紡いでくれても良かったのよ?

そうしなかった結果、今回のように、思い入れも碌に無いまま、忙しない起承結の慌しい幕引きと過ぎ。父の魂によるアインシュタイン本来の強さ(と言って良いんでしょうかね?)を肯定する事も説得力に欠け。許容するのは難しい事態と相成ってしまうでしょう。
もしそれが無理なら、例え回収されてないと批判されても、キスシーンの先をカットして、新たなエンディングを描いた方がマシだったと感じます。頑張って纏めようとしたのは評価しますが、余韻もへったくれもない雑な締めで綴じられては、不満を覚える方が居るのも当然です。
描けないなら無理はしない。中途半端は絶対にダメな事。その2つを念頭に据えて欲しかったと、強く感じた読後感でした。


γ.雑な戦闘シーン
この方は前からずっとそうだったんですが、戦闘シーンを描くのは「もう止めた方が良い」と言わざるを得ませんね。無闇矢鱈と叫ぶだけの、地の文で綴る描写も碌にない戦闘画面は、キャラクター達が何をしているのかやっているのか、正直ちょっとよく分からなかった次第。CGや演出に頼りすぎで、本質がまるで見えてきませんでした。
オーバーロード持ちの主人公が彗星機構の敵役に向けた能力ってのは、魂が持つエネルギーの波動を相手へぶちかましたって解釈で良いんでしょうか? この点も中々曖昧模糊と過ぎ去ったので、どこかで明確な説明が欲しかった所
また、声優の方の技量も相俟って、それらのシーンはちょっと恥ずかしくなったと言うのも正直な感想。叫ぶ演技って難しいんだなあ……と、思わざるを得ない方々でした。


δ.エロシーンの短さ
あまり僕の批評では此処に言及する事は少ないんですけど、流石に周太君が早漏過ぎたので叙述します。CG自体は結構エロいんだから、もっと頑張って欲しかったです。でも中々に興奮したし、抜けた箇所はあったなと思う辺り、主人公の事を揶揄出来ないと思っています。10センチはそこまで大きくないでしょうがね。
また、エロシーンが必要なのは忍ルート位じゃないかとも感じた次第。特にロミのエロシーンはあそこで挿入するなら無くて良かったと言うか、無かった方が良かった始末。あった方が嬉しいのは確かですが、グランドルートの終盤におっぱじめられて聊か興が殺がれましたし、カットしても何ら問題ない仕様には、あまり重視していない僕でも少々呆れてしまいました。作るんだったら、例え早漏でもロミの個別ルートでしっかりとおっぱじめて欲しかったです。



人によっては、収まらない不満がもう少しあるかもしれませんが、僕としてはこれ位で。
新島夕氏は『アインシュタインより愛を込めて』をこれまでの作品の「集大成」であると語っていました。時の流れとは残酷なものです。同じ単独企画&シナリオだった『はつゆきさくら』よりも、体力自体は落ちていたんじゃないかな、と正直感じてしまったのが本音
水月陵さんが話を聞いて涙したって感想を見る限り、プロット自体はそこまで悪くなかったんじゃないかと思います。そうならなかったのは、偏にそこを補うだけの描写が欠けていたって、それだけの話なんだろうなと感じました。

ただ、批判するだけだったら誰でも出来る事なので。そんな僕が「嫌いになれない」と思えた理由について、下記から述べていきましょう。










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「だいじなのは、お話の裏にこめられた意味なんだよ、ドローヴ少年。お話ってのはある目的があって語られるもので、その語られかたにもやっぱり目的がある。お話しがほんとかそうでないかなんてのは、どうでもいいことなんだ。それを忘れるなよ」

『ハローサマー、グッドバイ』
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3.春と修羅・序(愛内周太について)
今回の批評を紡ぐにあたって、1番肝要なのが主人公。よって最初は愛内周太について、少し語ると致します。
取り敢えず言及しておきたいのは、彼を取り巻くモチーフの事。まず、名前がアルバート・アインシュタインを捩っているのはお分かりでしょう。「あいうちしゅうた」と「アインシュタイン」意識しているのは明白です。
ただ、モチーフとしているのは他にもあるんじゃねえかって、僕はどこか疑わしく思っていたので、そんな妄想をしながらじっくりずっと読んできました。そしたら見つけられたもう1つ。某作家が描き上げた生前の作品。合わせて抜粋致すで候
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好きな色ねぇ……
「あえて言うなら……少し紺の混じった青だな」

「空は好きだが、あんまり真っ青だと……なんか、まっすぐ見るにはしのびないだろ」

「とにかく、ちょっと濁ってるぐらいがちょうど良いんだよ。空に限らず何事もな」


『アインシュタインより愛を込めて』周太
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「自我というのは結局、それ自体で成立するものじゃない」
「他者との関わりの中で形を得て、強固になっていくものだ」
「あるいは、魂というもの自体がそういう性質を持っているのかもしれない」

「……人との……交流……」
「街に灯りを灯すんだよ。そうすれば、夜空に星が輝くことはない」


『アインシュタインより愛を込めて』周太・ロミ
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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

宮沢賢治『春と修羅』「序」 第一連
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本作における個々の要素を考慮した結果、愛内周太とは1つの「現象」であり、「有機交流電燈のひとつの青い照明」「因果交流電燈のひとつの青い照明」を示す象徴存在であったと考えました。
よって、ロミが語った「街に灯りを灯すんだ」と言うのも「電燈になれ」の同義となり、このメッセージ自体が『春と修羅』「序」を根底に据えているんじゃないかってのが、僕個人の抱く考えとなります。


宮沢賢治と言う作家は、自分と世界の間に深い裂け目があると自覚していた人間でした。『春と修羅』の意味は、春のように豊穣な美しさに包まれた世界に対して、相容れない1人の修羅である自分の対比。生命の豊かさを享受出来ないばかりか、いつもこの世から疎外されているとしか感じない自身を、美しさ溢れる春の世界と対照的に卑下して綴ったモノです。
そんな彼の生み出した某作は、未だに確定的回答が存在しない難解作品。これまでも数多くの研究・解釈が、数多の賢人から生み出されているものの、それをイチイチ論っていたらキリがありません。
よって、幾つかの書簡等に見られる「心の不思議」から突き詰めた内容を参考に、半ば統一的に語られた論理を纏めた上で、本作の仮説を紡がせて下さい。


『アインシュタインより愛を込めて』の中で、愛内周太は「風景やみんな」と一緒に明滅し合う事で、確かに灯り続ける現象となりました。相互疎通関係の中、彼の「魂」(「幽霊」)は強化されて保たれ、互いに照らし合う関係となり、街の「交流電燈の青い照明」として現れます。
そこで生ずるのは「自我」が多数の他我によって成り立つと言う現象です。灯そうとする行動の過程に他者が加わる事で、感情、思想、意識、行動の数々が形となり。周りの人々や環境に影響されて生み出されたそれらが「自我」として覚醒する次第。そして触れ合わなかった結果が、自らの全てを忘却してしまうノーマルエンドと化してしまいます(宮沢賢治は「他者」だけが影響を与えると書いた訳ではありませんが、そこまで述べると膨大に長くなるので割愛)


また彼は、この「わたくしといふ現象」の成り立ちを深く考える事で更に、この世、宇宙を司る力に結びついていくと考えていました。心象スケッチ、即ち「心奥に芽生えている気持ちを言葉で紡ぐ行為」が、真理探求への道に繋がると考えたんです。
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すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

宮沢賢治『春と修羅』「序 」第五連
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アルベルト・アインシュタインに強い影響を植えつけられた宮沢賢治。『春と修羅』「序」に登場する「第四次延長」は彼の相対性理論から触発された用語と言えますし、第四連の「けれどもこれら新世代沖積世の~」もまた、かの理論を髣髴させます。『春と修羅 第二集』へ収められた「〔北いっぱいの星ぞらに〕」って詩の下書きには「アインシュタイン先生/ルメートル、先生/普賢菩薩――白像」と書いてありますし、「ビジテリアン大祭」って童話には「相対性学説」って言葉も登場していました。文学作品に与えた影響、換骨奪胎は増大だったと断言出来るのです。

『春と修羅』「序 」で述べられている「第四次延長」とは「通常の3次元空間に第4の次元として時間座標を加えた四次元連続体」の総称となります。ミンコフスキー的用語の1つで、超簡単に述べるなら「時間が流れる世界」の事
地質学を専攻していた宮沢賢治は、いつも鉱石を見て太古からの時間を体感していました。それを考える行為自体は「第四次延長」の中で悠久の歴史を追想する「時間を越えた永遠」と言えます。
時間の流れる世界で、時間の関与しない真理を考え続ける事。宮沢賢治はそんな行動こそ「心象スケッチ」足り得ると認めた次第
心象を描く事自体は、宇宙や無限の時間へと繋がるもの。それを有限の時間で描く事により、個人を超えた普遍の真理へ導かれると考えたのでしょう。


そして、以上から此処に1つの推論が導かれます。
それは『アインシュタインより愛を込めて』が、愛内周太を基点とした「心象スケッチ」でもあったと言う事
動き行く世界の中で果たした役割を分析してみた結果、彼は北牧台の「電燈」として、「ひとつの青い照明」として、本作を「心象スケッチ」する為の「現象」として、作品内の要素になっていたと、クリア後の今は感じられるんです。
時間の経過によって変わっていく心。「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに、みんなのおのおののなかのすべて」となる事。そうした「生み出される主観」を代弁するキャラクターとして機能したと、現時点では思っています。

そして本作において、彼の目を通して語られた「普遍の真理」とは何か?
それは、アルベルト・アインシュタインが娘であるリーゼル・アインシュタインに伝えた「愛と称されるエネルギー」です。
本作はその全てを「世界から成る自身」と「自身から成る世界」の、真理となる『愛』を、個別ルート全体とグランドルートの全てで、描こうとしたんだと感じられます。
愛内周太。愛を受け取った者として。愛を与える者として。宮沢賢治とアインシュタインの要素を内包した存在として。導き出されたクリア後の「真理」でした。


次章からは上記の根拠。個別ルートの感想について語っていきます。





4.アルジャーノンに花束を(西野佳純ルート)
青春。まずはそんな言葉が、頭に思い浮かぶ物語です。
ボクシングでいつも負けてる相手から勝利を掴み取る為、特訓したり合宿したりする中で、片桐含めた3人の関係が親密になっていくルート。文章で書くとなんだか熱血スポ根ぽいのに、全然そのような雰囲気を感じなかったのが、今でもどこか不思議な印象で。
終始日常が淡々と過ぎ去り、時に穏やかに、時には賑やかに進んで。笑ったりふざけたりしながら、気がつけば毎日を伸び伸び謳歌している主人公の姿が、どこか変化の兆しを感じさせたシナリオでした。

彼女のルートは上記で語ったように、校内で賑やかワチャワチャ進行するモノとなっています。そしてそれは、西野と共に居る馬鹿友、片桐が一緒についているからですね。西野佳純ルートと銘打たれていますし、恋人の契りを結ぶのもそうなんですけど、そんな2人のラブラブ以上に3人全体の友情が強調されたシナリオだったと感じています。そんな盛大要素を肌身に感じさせる展開こそ「西野ルート」最大の特色と言えるでしょう。
とは言え、それは西野が全くヒロインらしくないって訳じゃなく。周太が自身の苦悩を打ち明ける唯一のヒロインとして、確かに機能していました。大事だからこそ打ち明けない、大事だからこそ打ち明ける。相手によって、それぞれ「信頼」のスタンスってヤツは変わると思うんですけど、彼女は後者を体現させた対等の同胞として、無二の強さを見せてくれたと思います。

そしてこのシナリオでは、そんな「信じる」のスタンスを最初から強く意識して描いているように感じました。作戦を開始してから始まった、信じさせる為の特訓。軽い自己暗示。「信じる者が勝つ」と言う原初の古びた考えを真っ向から貫き通して、勝利を収める展開。一部からしたらそれは、鼻で笑いたくなるような代物かもしれません。
そして実を言うと僕も、作戦の詳細を聞いた時は「なんだそれ?」って最初に思ったんですね。ただ、あのやり取りを思い出して、ちょっと認識を改めたんです。
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「そういう小手先の戦い方を娘に教えるのはやめてくれないか」
「佳純はこれから、いくらでも強敵と戦うことになるだろう」
「おおかた、敵の試合でも研究して君なりに作戦を立ててくれたんだろうが」
「そうじゃないんだよ。そういうのはいらないんだ」

『アインシュタインより愛を込めて』佳純父
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恐らく僕が期待していた事って言うのは、このお父さんが言っていた「小手先の戦い方」に他ならないんですね。相手の弱点が○○にあるから開始数分後に××を披露して、その結果、敵が怯んだ隙に△△を叩き込むみたいな。特定の戦闘で効力を発揮する類のモノ。「勝つだけ」だったら、それは確かに要らなくないと言えるでしょう。
ただ、それはきっと何の解決にもならない。これから更に戦いを繰り広げていく中で、そんな方法で勝ったって何の意味も無い。あるのはただ「勝った」と言う喜びだけ。それこそ「ロボット」のような姑息の闘い方しか出来なくなるでしょう。
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「きっといろんな人の協力で、戦っていたんですよね。だったら、奴にも親父さん以外に誰かいたって良いでしょう」

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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そして、それをきちんと理解しているから、上記の部分は否定せず、後から述べられた「誰かを頼る事は×」にのみ反対意見を述べる周太。西野にも同じように「人間」としての闘い方を求めたのは、親父も彼も変わらないのです。
お父さんの言及は、周太のメンタルトレーニング作戦を見る限り、全くの的外れだったと分かります。1回限りの特定の相手に向けた戦いのみならず、この先の鍛錬に通ずるモノだった訳だし。
しかしそこの機微がつかめず、安易に勝利法を期待した自分には、その甘えが少し突き刺さりました。作戦の詳細を知って「呆れてしまった」信頼感の欠けた自分には、少しだけそれが突き刺さったのでした。


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「なんでかなぁ。変な奴だし……言ってることもたいがい理不尽なんだけど……」
「愛内は信用できるって……私の勘みたいなのが言ってるんだ。なんでかな」

『アインシュタインより愛を込めて』佳純
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斜めに見ないと見えない主人公と、真っ直ぐ見ないと見えない西野。対極的な2人の凹凸が上手く噛み合った信頼関係となって、今回の勝利は収められたと言えます。
考えている事が分からないし、相手の気持ちも碌に掴めないけど、でも信じられる認識が、2人を勝利に導いたとも言えます。
それはつまり、理屈(脳みそ)が不信を抱くよりも、心(魂)が信を抱いたと言うのに他ならないでしょう。例えそれが態と信じさせている「思い込み」に過ぎないとしても、彼女が信じようとしている心の動きは確実であり、その衝動は嘘偽りなき真実となります。
心身二元論。受動組織である「脳」の性能を全て引き出せていない人間が、自身の魂から与えられる正解。不完全な脳機能が齎した「理屈の否定」如きで、内奥に芽生えた気持ちは安易に拒絶されるような脆弱の産物じゃないと言う事
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心に深く刻み付けるような、景色。
これだけは何があっても絶対忘れないっていう、一瞬。
それさえあれば、俺は俺でいられる気がする。
この先、何が待っているとしても。

そうしていつか浜辺で空を見上げていた光景と反響し合う。
約束したんだ。
俺は約束したんだ。


『アインシュタインより愛を込めて』周太
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全てを忘却し、脳組織の機能がまるで果たせなくなったとしても、魂だけは憶えている。
心の予感が、その際に感じた切なさこそが、自らを形作る上で大切な「自我」となる。
その感情は、愛内周太の魂があのひと夏で確かに変化を迎えた証。彼は確かにあのひと夏で変わる事が出来た証明
ノーマルルートでは忘れてしまったままだった「忘れたくなかったモノ」を、西野ルート終盤では向かい合い、それが自分だけの持つ「心象」として形成される次第

自身の抱く魂の声を素直に聞いてあげる事。それこそが自分を作り出し、他者との信頼に導かれると。上手く繋がったシナリオでした。
愛内周太は、確かに変わる事が出来る。それを、グランドルートまで忘れないよう、此処で密かにお願い致します。


ただ、題材がボクシングでなければいけなかった意味は、作中でもあまり感じられなかったのは、実に残念な所でした。





5.猫とともに去りぬ(坂下唯々菜ルート)
家族に相手にされない1人の少女。白昼夢のPクラ。そして、1匹の猫と共に過ぎ去った普通志望者のお話です。
物語の流れが某鍵作品の某ルート、僕がそのゲームで1番泣いた某シナリオを髣髴させた次第。まあ、あの娘は坂下と違って普通じゃなかったですけど。ただ、彼女の頑張りを最後まで主人公1人だけが見届けたシーン。あれは、今でも至極印象に残っています。
そしてそんな想起が齎される辺り、坂下唯々菜ルートは言ってしまえば「よくある話」とも言えるんですね。エロゲ・ギャルゲでこの手の類は腐る程経験したって方も少なくはないでしょう。僕もどっちかと言えばそっちの部類かもしれません。
しかし、だから見所が無いって訳ではなく。寧ろ、だからこそ「見なければいけないのではないか?」と思わせてくれた、これはそれだけのお話と言えます。
主人公の忘却と覚醒が認識した「脳」と「魂」の物語。下記から早速語っていきましょう。


坂下唯々菜ルートは「夢」として世界から忘却される少女と、忘れては思い出しを繰り返す主人公の展開から始まります。
通常の認識では「見えなくなってしまう」坂下。手を握ったり会話したりと、ロミの言っていた「灯りを灯す」行為をし続ける事で、彼女を彼女のままにし続けます。
それはつまり、彼の交流こそが彼女を世界に灯している証明(照明)と言えるでしょう。
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あそこには、あいつがいる――
あいつ? 誰だろう?
分からない。けど行かないと。
あそこで待っているような気がするから。

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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全てを忘却し、夢に何もかも消し去られてしまったとしても、魂だけは憶えている。心身二元論。受動組織である「脳」の性能と「魂」の関係。内奥に芽生えた気持ちは安易に拒絶されるモノじゃない、西野ルートで既に語られた事
因果の修正力が働く世界において、そこに佇む「電燈」の自分として、愛内周太は坂下唯々菜を「普通」にさせます。残り少ない時間を「忘れては思い出し」を成し遂げられる程の大切な同士へ譲渡し続け、相手の為にこの身を使う事を念頭に据えて。
それこそ、彼が最後に果たした決意の現れです。他者を救う為なら、この身が犠牲になろうと厭わないブドリの精神。自分さえ良ければそれで充分だったこれまでの主人公からは考えられない行為であり、最後に鯨へとアクセスして自らの「脳」に負担をかける行動で持って、終に明確な自己表現を果たすまでに至りました。そこへと至るまでに生じた心性の変化を、気がつけばとても嬉しく思えていた次第
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「はじめて、なんていうか、俺は、俺らしさみたいなのを見つけたんです」
「それさえあれば、もう何も怖くない。そう言えるものを」

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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この先何が待っているとしても、魂に深く刻み付けた、自分でいられる気がする何か。それさえあれば、俺が俺でいられるモノ。即ち「自我」となって、この先を支え続けてくれる存在
それを彼女との交流で見つけた姿が、とても強き愛情と理解を感じさせたシナリオだったと思いました。


そして、そんな行動をするにあたって1つだけ。周太は欠かさず「ある表現」を口にしています。
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「私……誰に忘れられても、愛内君がいれば、がんばれる気がする」
「うん……」
「がんばろうぜ。それでも、やっぱり俺だけじゃつまらんと思うぞ」
「世界には面白いものがたくさんあるんだ」
「それは一方的な認知じゃ、楽しみきれない」
「互いが互いを認知して、存在というのは成り立つのさ」

「誰に忘れられてもいい」
「愛内君にさえ、触れたら。それでいい」
「あぁでも。やっぱりそれじゃぁ、つまらないよ坂下」
「お前が世界を失ったというのなら」
「俺はお前に、世界を、返してみせる」
「……え?」
「当たり前にあるべき、世界を」


『アインシュタインより愛を込めて』周太・唯々菜
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主人公は最初から言っていました。「愛内君だけに見えたらいい」と語る坂下に対して、諭すように、教えるように。「でもそれじゃあ、つまらないよ」と。
それは、既に自身の生命日数が短い事を確信していた彼だからこそ放たなければいけない言葉と言えます。過去に囚われた未来は酷く儚く、他人に縋った幸せも酷く儚い。そんな「依存」では「本当に欲しいもの」を掴めなくなると言う忠言。愛内周太はずっと、そういう風に発言していました。
そして、それを受け止めた坂下唯々菜は、そんな彼の想いを胸に秘めた1年後、とある選択をしましたね。
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「愛内君のことだから、そのうちひょっこり戻ってくるかなって待ってみたんだ」
「でも、戻ってこなかった」
「だから、迎えに行く」

『アインシュタインより愛を込めて』唯々菜
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ここで、愛内周太と坂下唯々菜には、明確な断絶があった事が分かります。
「普通の生活を送りたいと思っている坂下唯々菜」を、愛内周太は自身の力を使う事で「日常」へと引き戻しました。
しかし、当の坂下唯々菜自身は「普通の生活を送りたい」訳ではなかった。「愛内周太のいる普通の生活を送りたい」だけだったんですね。
そして、そう至ってしまったのは、彼が彼女と深く関わりすぎてしまったから。彼が彼女の世界を灯す「電燈」となってしまったからです。個人的感想を申し上げれば「なんて酷い結末だろう」と思ってしまう他ありません。

正直、僕はここでちょっと彼女に失望したんですよ。彼の想いを理解しようとせず、最後に至った気高き想いの結末を無くそうとしてしまう行動に、少々の嫌悪感が湧いたからだと存じます。
周太はきっと「普通が普通のままで」光を放つ事が出来る存在へと、坂下を変えたかった筈です。猫に逃げず、過去に囚われず、自分を忘れても構わずに、未来を生きる図太さと強さを、彼女から見せて欲しかった筈です。
しかし、坂下は果たして彼の思うように変われたんでしょうか? 日常を楽しむ苦行から逃げ、猫へ逃げる行為を愛内君を追いかける行動にすり変えただけとも言えないでしょうか?
「周太は自分が会いに来る事を望んでいるか分からないけど、とにかく会いに行きたい」と言うその想いは、確かにある意味救い足り得ます。しかし、そもそも彼は救われる事を望んでいるのでしょうか? 彼女が「普通」に日々を過ごせたらそれで満足なのではないでしょうか? なぜならその振る舞いこそが、彼の中で自身を自身たらしめる一起因と化しているんですから。

ただ、坂下唯々菜の立場で見てみると、これまた不明になってくる次第
エーリッヒ・フロムは「一人でいられるようになる状態」を、他人を愛する事が出来る必須条件の1つと考えました。そして、この時の彼女が周太へ「依存」しているかと言うのは、正直な所よく分かりません。「界狩蛍」として1年間を過ごして尚「坂下唯々菜」として生きる事を選んだのなら、それは確かな自立であり、愛内周太へ逃げた事にはならないのではないか? 依存から脱却して成長した彼女が、対等な関係として立ち向かう為に周太を追いかけている可能性もあるのではないか?
と、まあこのように、僕はなんだかよく分からなくなってしまったんです。


ただ1つ言えるのは、2人の間に明確な「理解の断絶」があったのが確固たる事実であるという事。そして僕はやっぱり周太の視点で感情移入してきた事、坂下自身の変化の描写は見受けられなかった事、彼女がどう思った所で彼の見方は変わらない事から、男の目線で物語を評する他ありません。
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「彼が君のために取り戻した、普通の日常が……二度と手に入らなくなる」
「うん」
「それでも約束したから」
「手を離さないって」

『アインシュタインより愛を込めて』ロミ・唯々菜
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「手を繋ぐ」と言うのは、周太が自らの決意を自覚する前に行った口約束に過ぎませんし、そもそも、その言葉を少しでも覚えているなら、彼の気持ちの変遷を想って、彼女はずっと笑っているべきだったとも感じます。当たり前の日常を当たり前のように謳歌して、日々の幸せに感謝して、時々そう至った背景を想起して涙しながらも、未来を夢見て前向きに生きる「界狩蛍」であって欲しかった。その生き様こそが彼にとっても「生きた証」となり、終生輝き続けるのですから。

しかし、少女は「坂下唯々菜」として生きる事しか選ばなかった。ルート最後のCGは、普通の彼女「坂下唯々菜」としての姿、元々あった「界狩蛍」の面影は無いと感じます。
そして客観的に見ても、この終幕は「バッドエンドに近い」と言わざるを得ません。坂下唯々菜のEDだけ、他ヒロインとまるで違う楽曲・映像になっているのは、彼女と彼の先行きが決して明るくない事を示したモノと言えますし、天才ロミも「まるで現実的じゃない」「普通じゃない」と言ってました。「アポロクライシス」が関与した所でミコが敵の手中に居る以上、ただで済むとも思えません。
しかし、例えそれが逃避だとしても、変わらなかった性根の末路だとしても、その全てが他者を省みない坂下自身の選択であり、彼女が選んだ唯一の道筋です。界狩蛍もとい坂下唯々菜は、夢と言う名の「想い出」に耽溺し、愛によってやはりどこか壊れたままだったかもしれないけど、それを否定したくもないと感じた次第

坂下にとっての「猫」は過ぎ去り「愛内周太」がそこに収まり、共に普通を脱却します。その結果「普通の日常を過ごす事を望んだ」彼の想いを、遠ざける事になろうとも。
魂が触れ合い同調した所で、明確に互いを理解し合えていない断絶。坂下唯々菜ルートは僕にとって、そんなほろ苦き淋しさが、猫と共に彼方へ遠ざかってしまう読後感として、最後に齎してくれたのでした。
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「誰にも、この世界に居場所と役目が必要なんです。それこそが、人を人たらしめるのに必要な要素なのです」

『アインシュタインより愛を込めて』野上
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6.わが愛はひとつ(新田忍ルート)
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きっと人生には、その人の人格が氷魔のように結晶して明確なかたちをとる瞬間があるのだと思う。
自信のなさや外からの影響、従属、そして責任からの自由をさんざん経験した子供時代を経て、人が自ら決断を下す瞬間が。

『ハローサマー、グッドバイ』
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僕が1番最初にプレイしたルートです。そして唯一、涙を零してしまったシナリオとなります。
それは恐らく、今から約1年前、12月に発売した某エロゲ某シーンの影響も確かにあるでしょう。あれが根深いトラウマとして魂に深く刻み込まれたのも、確固たる事実でございますから。
しかし、本ルートに植えつけられた「感動」と言うのは、決してそれだけじゃなかったってのを、クリア後に思う僕
本作だけにしか見えなかった「親」と「子供」「子供」と「大人」「愛」と「未来」の光景にどこか心震わされ、1人の人間として生まれ出た「在り処」のような物を作中で感じられました。その時に湧いた心境は決してマヤカシの類ではないと断言出来ましょう。
はっきり申し上げるなら、僕はこのシナリオが1番好きです。個別ルートで最も心をかき乱され、終着点に思わず涙を流してしまった「子供から大人へと至る愛と未来」の物語。何故その神髄に触れてしまったか。下記から早速語っていこうと思います。


まず、このシナリオは「大人」と「子供」って部分に着眼点を置いている事が、冒頭から随時述べられています。
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「私よりは子供だから分かるかなって」
「は……何が子供ですか。あんたに言われたくないっての」

『アインシュタインより愛を込めて』周太・忍
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「ふふん。大人がお礼をするといったら、1万円は確保したいね」

「大人 お礼 ディナーで検索すると、似たような文句が出てきますね」
「大人がお礼にディナーをするなら、だいたい1万円が相場、と」
「おおおおお。なにやってるの、スマホ取り出して」


『アインシュタインより愛を込めて』周太・忍
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「それで、夜の食事して……こうなるのも、大人ならあることなのかなって思って……」

『アインシュタインより愛を込めて』忍
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「2人とも、子供だったんだよ」

『アインシュタインより愛を込めて』忍
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新田忍ルートは、周太が「誰とも触れ合わなかった結果」から始まる最後の砦です。そして、そこで語られるのは双方共に「子供」でしか無かったと言う皮肉な末路でありました。
惚れた腫れたもよく分からず、慣れないお酒で不味いと酔った忍さんを介抱している内、流れでヤってしまったり。
店舗経営もままならず、聞き齧った情報だけで全てを判断、軌道に乗って有頂天していたら、しっぺ返しが来たり。
そんな姿勢は、はっきり申せば「大人を真似た子供のごっこ遊び」でしかありません。処女で、童貞で、お子様で。男女の機微が全く分かってない恋人ごっこで、目線が充分に見えていない経営ごっこで、遊んでいる2人に過ぎません。
忍さんは周太の意見に従って、全て彼の指示通りに事を成そうとします。その光景を憚らず語るなら、彼の指示に従って考えなしに作るだけの「おままごと」でしかなく。そして、それを逐一指示する周太もまた、知識が未熟な小僧の失策と称されたら、返す言葉も無いでしょう。彼には「経験」がまるで足りてない事がわかりますから。
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Information is not knowledge.the only source of knowledge is experience.

情報は知識ではない。知識の唯一の源は経験である。

アルベルト・アインシュタイン
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「だから、お店のこと人に相談したこともあったんだけど……」
「よくがんばったから、もういいんじゃないかとか」
「言外に、最初から私には無理だったんだから、がんばったほうだよ、みたいに言われるの」
「だけど愛内君は、けっこうずけずけ怒ってくれるんだよね」
「そういうのって、真剣に考えてくれてる気がして。ちょっと嬉しかったんだ」

『アインシュタインより愛を込めて』忍
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ただ、彼が同じ「子供」として、忍さんの支えになっていたのは確固たる事実なんです。同じ立場に立って、店の事を一緒に考えていたからこそ、不測の事態になってしまったとしても、彼女はどこか穏やかでした。それは彼の本性を知って、取り組んでいる真面目な姿勢を理解した上で、その運命を優しく受け容れたからだと掴めます。
それに例え「子供」だとしても、周太が忍さんを愛した気持ちは嘘じゃなかったんです。好きな人の力になれない自分を歯痒く恥じ、真っ直ぐなあの人に足りないモノを補いたかった気持ちは、全く全然これっぽっちも嘘じゃなかったんです。
本ルートにおけるそういう青臭くて純粋な姿勢が、とても好きだなと思いました。何もかも曝け出して、恐れながらも真っ直ぐに、ただ一念で相手へと向かい合う行為。それは、大人が失くしてしまったある種の情感を覚えます。だから僕はそんな純粋性が好きだし、その気持ちが全体を通して輝いている下記の描写が含まれたシーンを、とても好意的に思えたのでした。
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ただその2度と無い幸運が、今訪れたのなら。
あるいは俺は、運命全てを……世界を、肯定できるかもしれない。

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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そして、そんなこんなで恋人同士となった結果、忍さんのお父さんが見事来襲する訳ですけど、そもそも彼はどうして周太の事を、2人の関係性を受け容れたのでしょうか。それはこの人がある意味において、最も「大人」を体現している人物だからと言えます。
前々からずっと考えていました。辛い事から遠ざけて無理にでも楽な道へ歩ませようとする行為と、これから辛い事が待っているのに敢えて突き放して様子を見る行為、果たしてどちらの方が、親として厳しい振る舞いなんだろうって。
忍さんのお父さんが何故、2人を受け容れたのか。それは「子供」を「大人」へと成長させる『勉強』を与える為でしょう。
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「でもまぁ、やはり、両人ともガキだな。そのうち行き詰まるぜ」
「ま、それも勉強だ。お勉強は得意みたいだから、勉強させるさ。はっは」

『アインシュタインより愛を込めて』忍父
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彼はこの先、2人が苦境に立たされる事を予感しています。それを予想しつつも突き放す方針を取った次第。「一緒に居られる」とぬか喜びしている自身の子供に対しても、そんな彼女と祝福している子供の彼氏に対しても。黙って何も伝えず、ただ突き放す方針を取ったんです。
これはある意味、最も厳しい修行を2人へ課したと言えるでしょう。この先、どんな事が起こっても「勉強」して乗り越えろよと。決して逃げる事は許されないと。責任を負う覚悟の道を、2人に態と与えさせた訳で。
そしてそれは、この先子供達がどんな失敗をしても受け止めるだけの度量が無ければ、出来る事ではありません。そうした失敗を選ばせてしまった者としての運命も背負い込む覚悟がなければ、出来る事ではありません。

危険から遠ざけ、全てを拒絶して関係性を認めない「子供」の親とは全く違う、この方はある意味、最も「大人」な人なんです。

忍さんの言っていた通りだと思いました。「優しさと厳しさの相違」についてあまり深く考えた事がない人は「なんで受け容れたのか意味不明」と思うでしょうが、彼はとても厳しい人です。僕自身も若輩ですが、そのように思います。


そしてお父さんの予想通り、2人には苦難が次々と舞い降りてきます。僕も1人の未熟者として、これらの光景にどこか心痛めてしまった部分もあり。子供が出来たと思ったら、彗星機構に半ば強引で拉致られて、4年間ずっと愛する人達に会えない日々を送るって、一体どんな拷問だよと。周太の怒りが湧く心境は、正直かなり理解出来た始末でした。
それはきっと、僕自身がそうした「愛すべき存在」を残して去ると言う行為に、人一倍憤怒と悔恨の情が沸いてしまう性質だからと存じます。優しさと純粋さで満ちた大切な人を苦しめる真似だけは絶対にしてはいけない。そんな信念に反する他ない現実がどうしようもなく悲しくて、くそったれな世界だと吹聴する他ない弱さが偏に悔しく思いました。
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「だって、私ががんばれば、誰かを救えるんだよ」
「誰かって誰だ」
「具体的には分からないけど……世界を救うってことは誰かを救うってことでしょ」
「ふん」
「誰だって何かを救いながら生きてると思うけどな」
「その上で自分も救われないと、ダメだと思うがな」

『アインシュタインより愛を込めて』周太・唯々菜
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「俺がやっているこの戦いも、世界を救うことにつながっているのか」
「……そういうことだな」
「そうか」
だったら……めぐりめぐって、あの人を守っていることになるのかな。
だとしたら、少しは救いがある。
世界にも、この俺にも。

『アインシュタインより愛を込めて』周太・星
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忍ルートは途中から、主人公自身がこの問答を、身を以って体感する破目になります。
「強き魂を手に入れる事だけがあなたに未来をもたらす」と、野上は言っていました。それはつまり、戦えば戦う程、自らが持つ魂は強くなり、彗星病の治療に繋がるという皮肉にもなりましょう。戦いと言う名のコミュニケーション。魂のエネルギーを利用した戦闘。自我を落としかねないその行為がある意味自分を延命させるなんてって感じですが、彗星病完治の為に加入したモーメントも居た事から、そう珍しくもないんでしょう。
しかし、それで周太が救われているかと訊かれたら、それは全く以って違います。彼の最大の望みは別にあり、それが果たされない限り、彼自身が救われる事はないからです。
「忍さんの下へ戻り、未来を一緒に歩き、まだ見ぬ命に対面したい」と願う姿。「自身の境遇が彼女に影を落とす事が耐えられない」と嘆く姿。居場所を内に秘めていながらも、廃人と隣り合わせの戦場を生きる他ない男の悲哀が、本作で1番胸を締め付けました。本当に切なくてしょうがなかったです。


そして彼が真に救われるのは、最後の最後。忍さんとの再会の場面。周太が世界を守っていたように、忍さんもまた、周太との世界を守っていたシーンです。
彼が成し遂げた事に、果たして意味があったかは分かりません。鯨の鍵の獲得、若しくは消失を念頭に据えて、彗星機構は脅威と化していた愛内周太を拉致・利用していただけに過ぎず。世界平和の為に協力させられていたとは言え、それは彼の意志でも何でもなく。当人からしたら「誰に理解されずとも自分は頑張った」と、自身を慰める他ない行動だったでしょう。
しかし、周太が「世界」を守らなければ、忍さんの『世界』も消えていたかもしれない。忍さんの『世界』が維持されてなかったら、周太の「世界」も終わりを迎えていたかもしれない。確かにそこには、子供含めて大切な人を守る、親とパートナー、双方の麗しき姿が生まれていたんです。
そんな2人の「頑張った」結果があのラストシーンに結びついていると考えたら、僕はどうにも胸がいっぱいになって、なんだか抑えられなくなってしまって、ほろっと涙を零してしまいました。それは確かに「魂」の繋がり合った「愛の証明」として、密かに機能していたと言えるでしょう。

ただ、どうして忍さんは、周太を許したのか。ずっと待っていたのか。正直、不思議にも感じていた次第。そして、実はもう1つ「向かい合っていた」シーンと言うのが、忍ルートである事に気づいた時、何だか彼女の想いを垣間見れたような気がしたんです。
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とても長い間……
俺たちはそのまま、向かい合っていた。長い時間。

「周太君」
「え」
「おかえり」
「……ただいま戻りました」


『アインシュタインより愛を込めて』周太・忍
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「それについての穴埋めは俺……なんでもする……」
「俺に出来ることなら、なんでもします」
「お金とか、いくらでも稼いでみせるし。俺、頭良いから、稼げるから」
「人付き合いとか苦手かもしれないけど、それもなんていうか我慢するし……」
「ただ、総合してみれば、苦労しなくて済むとは言えない」
「予想できないことが、たくさんある」
「いい気になっても、前みたいに失敗するかもしれない」
「でも、俺は……がんばる。がんばる……」
「少しは大人になるよ……」
「俺の……俺のもちうる力、全部使って、忍さんの力になるから」
「だから……」
「こんなのはおこがましくて、無責任で……」
「世間知らずなのかもしれないけど……」
「それでも……俺はどうしても……」
「忍さん」
「産んでもらえませんか」

「周太くんさえよかったら……」
「2人で、がんばろうか」
「うん」
「がんばりましょう」
……そのまま、俺たちは無言で向かい合っていた。
うつむいたまま、何かを見つめる忍さんの瞳がぼんやりとにじんでいるのを見ていた。
その目もとが穏やかに、さきほどまでの緊張感から解放されているのを見ていた。
そんな忍さんを見ながら俺はふと思った。
この先何があっても、きっと俺は後悔しない。


『アインシュタインより愛を込めて』周太・忍
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自信のなさや外からの影響、従属、そして責任からの自由をさんざん経験した子供時代を経て、自ら決断を下す成長の瞬間。堕胎されると思っていた忍さんに、周太が不器用ながらも想いの丈を放った言葉。彼が真摯に語ったこの時の内容と言うのが、僕は凄く重要だったんじゃないかと思うんです。
「子供」だった2人が選択した事は、1人1人の「大人」として責任と自覚を持ちながら歩む事を誓う大いなる決断でした。人は皆、どこかでこの「瞬間」を味わいながらも、一歩ずつ前へ前へと向かっているのでしょう。そんなやり取りがどこかで交わされる世界を思うと、時間が生み出す雄大な生命誕生の神秘と言うのに、驚嘆する他ありません。
そして、周太は決して上記の言葉に嘘をつきませんでした。最後まで、決して約束を違えなかったのです。
「世界を救うためのお仕事には結構な報酬が振り込まれる」と、モーメント:ジュピターは語っていました。よって、彼女は「彼が持ちうる力、全部使って頑張っていた事」を察していたんじゃないかと考えられます。彼はもう「大人」として、自分と子供の為に頑張っているんだって。
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それでも、あの瞬間思った。
何も、後悔することはない。
その一瞬さえあれば、その先全てを受け入れて前に進める。
そんな瞬間が俺にはあった。
だからもう、何も怖くない。

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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周太はあの時の瞬間をずっと大切に思いながら生きてきました。上記の対比と推理から想像するに、それはきっと彼女も同じだったんじゃないでしょうか?
忍さんも「その一瞬」を糧に、今日まで生きてきたんじゃないか? 「この先何があっても、きっと後悔しない」と信じて頑張ってきたんじゃないか? 僕としては、偏にそう思えてしょうがなく。だから、つまり、要するに。

彼が彼女の姿からの心を信じたように、彼女は彼の心からの言葉を信じたんです。

双方自身の持ち得る力を全て使って、離れ続けても、ずっと、ずっと、互いの為に生き続けてきた。信頼してきた。その軌跡がこの4年にあり、だからこそ彼女は、優しく迎え入れたんだと感じます。彼の居場所から成る世界を、ずっと守ってきたんだと断じます。
これは、忍さんが4年間どうやって生きてきたかを描いた途中のシーンがないからこそ、際立つモノと言えるでしょう。そこがまるで描かれないからこそ、彼女の想いは尊く過ぎて。気が付いた人にささやかな感動を植え付けられる次第
そして恐らく、彼の放ったこの言葉が無かったらどうなっていたか。「愛」に満ちたこの言葉が無かったらどうなっていたか。
きっと比村茜の母親のように。「子供のせいで自分が捨てられた」と思い込んで、我が子の事も気にかけない、悲しくも切ない女性に変わっていたんじゃないかと思うんです。
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「違うの」
「違う、の……」
「ありがとう」
「……」
「ありがと……」

『アインシュタインより愛を込めて』忍
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そう考えると、思わず涙ぐんで感謝を述べるこのシーンなんて、本当に嬉しかったんだろうなって。自分を大切にして貰えて、しかも子供まで認めて貰えて、本当に嬉しかったんだろうなって。クリア後に思い返して読んでみると、今もどこか鼻の奥がツンとして、言葉にならない感動の気持ちが舞い降ります。「ありがとう」と言うのは本当に良い言葉だと、改めて強く思えた僕なのでした。


忍さんは周太にとっての「灯り」となり、自身を形成する「心」となり。
周太は忍さんにとっての「灯り」となり、自身を形成する「心」となり。
相手に影響されて生み出された感情、思想、意識、行動の数々が「自我」として覚醒したからこそ、ひと夏の成長を2人は果たし「愛」を知って変われました。
周太は、忍さんを好きになった事で、過去と世界を肯定し。忍さんと子を生した事で、未来と世界を肯定出来る。
それは、人を人たらしめるのに必要な要素。「居場所と役目」を、彼女から再度得る事の出来た証明となります。
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あなたを信じてただ、あなたを待っていたの。分かるわ。言えない事情があるのよね。でももういいの。だって帰ってきてくれたから。
「ハ……」
いくら俺でも、そこまで都合のいい妄想なんてしないさ。

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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しかしその幸運は、またも彼の前に現れた。
だったら、その2度と無い幸運がまたも訪れたなら、周太はこの先もう1度、きっと運命全てを、世界を肯定出来る筈
そして、その後の家族の日々は、彼が送ってきた悲惨な4年間よりも、彼が送ってきた理不尽な18年間よりも、もっともっと、価値のあるものになるのでしょう。

それは「家族」に至るまでの御話
「家族のような人に巡り会えた」この世界の全てに「ありがとう」と投げかけたくなる御伽話
そして、クリア後のプレイがより一層心に沁みる「子供から大人へと至る愛と未来」の物語でした。





7.さよなら僕の夏(有村ロミルート+メモリー+グランド)
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自分が高いところから人々を眺めている一方、その人たちがそうとは知らずにいると思うと、自分が強大な存在になったように感じた。
自分の胸のうちひとつで、あの人たち全てを消し去れるような気分だった。

『ハローサマー、グッドバイ』
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「チャーリイ、あなたには驚くわ。ある点ではあなたはとても進歩したけれども、判断を下すというようなことになるとまるで子供ね。あなたのかわりに、あたしがきめることはできないわ、 チャーリイ。その答は本では見つからないし――他人のところへもちこんでみても解決は得られないのよ。 あなたがこれから一生子供のままでいたいというなら話は別だけど。 あなた自身で答を見つけなきゃいけない――正しい行為が直感できるようでなければ。 チャーリイ、自分を信じることを学ばなくちゃいけないわ」

『アルジャーノンに花束を』
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そして最後は有村ロミ。天才少女の異名を持つヒロインのルート。薄々察していましたが、この娘とのイチャイチャは期待しないのが宣なるかな。エロシーンがあるとは言え、他ヒロインと比べてどうにも「恋人」っぽくない。あくまで個人的感想としては「親友」や「相棒」と言った言葉の方が適格だとも感じた始末
それは、周太のロミに対する態度が急激な変化を遂げていると感じたのが大きいかもしれません。「対象」として全く意識してないって訳じゃないんですけど、惚れていたかと言うと疑問が湧くような曖昧さ加減。消える時にいきなり愛の告白ぶちかまして「へえ、そんな片鱗あったっけ」と思う位には印象に残らなかった次第(ってか、ロミルートでも他ヒロインを意識している描写の方が多く感じたんですが、気のせいでしょうか?)
また、ロミの心境が不明だったのもあるでしょう。周太に対して恥じらいがまるで無く、彼と接する中での性格の変化と言うのもあまり感じず。そしてこの娘はあくまで「魂を分け合えるような誰かに会えるよ」と、周太を説得する際、自分を選択肢に入れてないんですよ。「お前は、俺の事が好きだったんだろうか」と、周太自身が疑問を呈している叙述も拝見した身としては、彼に対して全てを捧げても良いと思える程の「愛」はありますが、それは「恋愛感情」ではないと思わざるを得ないのが正直な所(詳細は後述)
ただ予め述べておくに、そんな2人の時が過ぎても変わらない「関係」は、結構好きだなと思いました。分類なんて何でも良いんですよ。「灯り」を灯してくれる1つの存在。自分が自分である為の大切な存在である事に、少しも変わりはありません。「そんな小さい箇所に拘る必要、無い無い!」と、自分に言い聞かせた上で、早速語っていきましょう。


まず前提として、僕はこのロミルート~グランドルートまでの話を「再始動」として紡がれたシナリオだと思っています。途中まで「坂下唯々菜ルートほぼそのまんま+西野佳純ルートを全員でやってみた!」ってのを含めて。そして、結局述べているメッセージが個別ルートで語られた内容の再確認って所も含めて。「メモリー」や「グランド」で隠された真実が明るみとなり、決戦へ挑む帰結の如き印象もあれど、最終的には愛内周太の「再始動」を描いているのが、この個別ルート+グランドルートです。

それは彼が結局の所、他の個別ルートでただの1度も「利己的に鯨の鍵を使おうとしなかった事」から、察せられる内容でした。
終盤でそれぞれが欠落した2人に分離して、敵となったガキが言った言葉。「ロミを助けたのは計算の内」「関わった人全てがテレビの中のタレントに過ぎない」なんて抜かしていましたが、僕等は個別ルートをきちんと読んできているので、偽悪的で臆病な嘘つきの言っている事全てが信用出来る訳じゃないのは、すぐに分かります。
「真理を手に入れたい」と言う性根は、間違いなく周太にとって真実でした。しかし、彼のパーソナリティはその願望のみで形成されている訳じゃなく、いくらでも容易に傾く瞬間はある次第。そして何より、誰も選ばなかったノーマルルートでさえも、彼は治療の道へ進んで自ら世界を壊すような真似だけはしませんでした。それが証明しているのはつまり。

愛内周太が主人公である限り、本作に最初から「新世界の扉を開くルート」は存在しないQ.E.D.です。

そう、彼は結局の所、どんなに絶望したって手を伸ばさない。自分に負けて、誰かや何かを利用する真似はしない。
郷田先生が言っていた通り、周太は確かに良い奴で。Σが言っていたように、周太は確かに立派な奴で。彼がルートでも全く変わらなかったのは、この部分を際立たせる為だったんだろうなと感じました。
彼が世界を愛する機会は幾多もあって、それは言い換えるなら「普通」のままでいたかった意志そのものも秘めていた証明です。逆にその思考が彼を「秀才」までに留めていたとも言えます。
愛内周太という人間は結局「普通の生活」を望みたい凡人に過ぎず、世界を容易に壊してしまえる程の知識狂「天才」へと至る道を秘めた狂人にはなれない。いや、強き意志で持って、ならない。
そんな彼の根底に眠っている本質的願望が、ある意味においてロミと周太を分けたのかもしれないと、クリア後、僕は思うのでした。


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「私には、根本的に彼を救うつもりはなかった」
「出来るならそうしたかったけど、私では無理だって知っていた」
「彼はやがて新世界の扉を開き、遠くへいってしまう」
「私の望みはそれを阻止して……」
「一緒に、消滅することだったんだ」
「その瞬間に一緒にいること。そして、一緒に消えていくのが私の望みだったんだ」
「それだけが、7年前からずっと私にとっての望みだった」

『アインシュタインより愛を込めて』ロミ
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さっき、ロミが秘めているのは「恋愛感情」では無いと前述しました。だったら彼女が内に秘めていた一心とは何か。読み終えてからじっくり考えてきた僕が思うに、それは「逃避感情」だと思うんです。
母親の件や友情の証も含めて「命を貰っていると思い込んだ」からこそ、彼女は彼と生死を共にする事を誓いました。「7年前の想い出」を足掛かりに。母親に認められたいから始めた勉強はいつしか、彼の為にする勉強へと変わり。「出世払い」と言う言葉を胸に、ずっと7年間頑張ってきたのでしょう。いやはや、実に美しい心ですね。

そこに何も思惑が無ければ。

「消滅する際、一緒にいて、共に消えていくのが望み」と語ったロミ。少々厳しい事を言わせて貰えば、それは自分が死にたいから彼を利用しているだけに過ぎないでしょう。「ひとりぼっちで消える勇気もないから」彼の消滅を利用して、自らも世界におさらばしようと動く利己的な魂胆しかありません。
彼女がなんで死にたいのか、詳細は全く知らないです。何も語ってくれませんでしたから。自身の存在が母親含めて他者に影響を与える事を絶望しての悲観かもしれないし、頭が良くなりすぎて世界に愛想を尽かした故の衝動かもしれない。ロミの秘密が関係しているかもしれないし、僕の平凡な頭では考え付かない程の広大で深遠に満ちた途方も無い苦悩かもしれない。ええ、詳細は全く分かりませんし、不明ならとやかく言う資格自体、僕には更々無いでしょう。
しかし、ただ1つだけ言える事があります。それは、この娘の挙動が、ある少女と瓜二つだと言う事
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「私は一緒に行くよ」
「昔、2人で大冒険をしたように」
「君に付き合うよ」
「私は、何度か君に命をもらっているんだ」
「それぐらい、させてもらうよ」

「そっか……」
「なぁロミ」
「悪いがその提案」
「お断りだ」


『アインシュタインより愛を込めて』周太・ロミ
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「誰に忘れられてもいい」
「愛内君にさえ、触れたら。それでいい」
「あぁでも。やっぱりそれじゃぁ、つまらないよ坂下」

『アインシュタインより愛を込めて』周太・唯々菜
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坂下唯々菜。そう、有村ロミがやっていた事は、坂下と同じです。周太に依存して、夏の思い出に依存して。彼が諭すように、教えるように、否定した行為そのものです。
過去に囚われた未来は酷く儚く、他人に縋った幸せも酷く儚い。そんな「依存」では「本当に欲しいもの」を掴めなくなる。
「7年前の想い出」に囚われている有村ロミから、愛内周太が自分で選択した事。耽溺していた彼女を敢えて遠ざけた行為。それは彼の信念そのものが生み出した行動と言えるでしょう。
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俺が存在しつづける道は閉ざされたんだ。
俺が俺自身で閉じたんだ。
それもいい。
何かに翻弄され続ける人生だった。
最後くらい自分の意志で蹴りをつけたい。

『アインシュタインより愛を込めて』周太
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この先何が待っているとしても、魂に深く刻み付けた、自分でいられる気がする何か。彼はそれを貫き通したんです。坂下唯々菜ルートと同様に。
ひかりはたもち、その電燈は失はれ。「自我」となりて、この先を支えていく存在は残り続けます。「立派」である事を胸に秘め、愛内周太は静かに消えていくのでした。
アインシュタインの中にこびりついていた、一筋の光を胸に残して。


で、何やかんやで復活して、お父さんの「愛」を知って、戻ってきた訳なんですが。
では最後の疑問。何故、ロミが失踪したか?について語るとします。
これはあくまで、隅々まで読んだ僕が至った私見に過ぎないんで、正直あまり自信ないんですけど、敢えて見解を述べるとするなら。
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「彼自身は否定するだろうけど、彼が望んでいたのはたった1つ。普通の生活ってやつだったんだ」

『アインシュタインより愛を込めて』郷田
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この回答が、僕の中ではほぼ全てだと言えます。
そしてロミは、周太と共に消滅する望みを絶ったからこそ、新たな目的を求めて旅立ったんです。

本作は全体を通して、過去からの脱却と新しき未来を切り開く行動こそ尊び、想い出に囚われて先行きを垣間見ない精神を間接的に否定しています。
「小笠原諸島で過ごしたひと夏の冒険」が終わったのなら、その先に待っている必要な事は、それぞれの人生、個々の生き方でしかありません。
あの「夏」に囚われていたのは周太もそうですが、ロミもまた同じでした。ずっと彼の為に尽くし、彗星病を治せないと知った時から、彼女の人生は彼にのみ捧げられた供物となり。「一緒に消滅する」と豪語出来てしまう程、ロミの人生は周太に「依存」していました。
「俺には俺の7年があったように、ロミにもロミの7年があった」なんて言ってましたが、彼女の人生は彼の為だけにあり続け。それは言い換えるなら、自分一人だけが紡ぐ人生を生きてない証明となりましょう。
だから、その目的が潰えた今、ロミは自身の抱えた秘密を持って、どこかへ行ってしまったんです。自分だけの意味を探す為に。過ぎ去った夏の想い出に囚われない、彼女だけの「自我」を覚醒させる為に。

そして、その別れはロミだけでなく、周太にとっても「再始動」の幕開けとなります。
自分以外の誰かと交流する事で、自分だけの道を歩んでいく事を望んだ結果が、個別ルートの愛内周太でした。それは確かに彼がリスタートを果たした結果となり、変化の実証へと至る次第
だから、このシナリオだって以後どうなるのかは分かりません。西野と付き合うかもしれないし、片桐と馬鹿やって終わるかもしれません。忍さんと子供を生すかもしれないし、新ヒロインの久寿苗蒔と知り合うかもしれません(個人的には、ロミルートで唯一個別ルートの内容に触れておらず、要所要所に意識させる描写を多く入れていて、唯一「家族」を作った忍さんとくっつく可能性あるんじゃねって思いますけど、それは彼女を好きになった者としての贔屓目もあるので自重します)
そんな全ての世界を含めて、ただ1つだけ言えるのは、彼がいつでも変わる事が出来ると言う事。このくそったれな世界でしばらく生きる中、他者と触れ合って自分だけの「灯り」を得る事の出来る事実でござい。
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「今の君を見ていると、今までは君が絶対選ばなかった選択をするんじゃないかって思えるんだ」
「それでもいいのかもしれないって、私は思っている」
「その場合、私にできることは、あとはもう……ちょっとしたことだと思う」

「人って不思議だよね」
「誰かが誰かに出会うことによって、思いも寄らないものが生まれてくる」
「私が君に出会って、思いがけず、手に入れたものがあるように」
「人はそう簡単には変わらないけど、君はきっとこのひと夏で、変わったよ。私が保証する」


『アインシュタインより愛を込めて』ロミ
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人間は弱く、独りで生きる事は出来ない。だから手を取り合って、見知らぬ人間と一時的にでも心を通わせられる。
そうした過程に辿ろうと動く生き様が、結果として人間の「愛」となり、自身を前へ向かわせるエネルギーとなる。

努めなければならないのは、自分を完成させること。
試みなければならないのは、ともしびたちと心を通じあうこと。街に明かりを灯して、心を通じ合わせることだ。

過ぎ去りし過去を胸に、新たな未来を生きていく行動で。悩みながらも前へ進み続ける姿勢に、ロミが「愛」を込めてくれるなら、そういう風に生きるのも悪くない。
そして彼がそのように変化したなら、彼女と関わる事はもうありません。普通の道と特殊の道。凡人と天才で分かたれた2人。あの街に留まっている限り、そちらから来なければ出会う事も無い機会となります。
そして恐らく、有村ロミは帰ってくるつもりもないでしょう。他の個別ルートでも役目を果たした彼女は「もう現れる事はない」と語っていました。そして、そもそも帰ってくるつもりなら、手紙でアインシュタインなんて送りません。
つまり、周太はそんな彼女を待つ姿勢で居る限り、恐らく邂逅の機会には恵まれないと言う事。彼と彼女の在り様は、「普通の生活」と「アポロクライシス設立?」に分離し、会おうとしなければ2度と交わらない、隔離された世界の住人となりました。
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新世界のドア閉じ 神話を置き去りに
そんなにたよりない
君が1人で 終わりない旅に出るなら
どうかどうか 幸運を

6月◯日 月曜日 よく晴れた朝
2人だけが知る神話が終わる
街角に立ち尽くしながら
ありふれた世界に枯れるまで叫んだよ
さよならα さよならα さよなら


「新世界のα」
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「ひと夏の冒険」と言った「想い出」は終焉を迎え、彼の夏を彩った「出会い」もまた「別れ」を迎え。
しかし、それでも「愛」はあります。傍にいてもいなくても、自分を見守ってくれている誰かが居る限り、自分はまだ自分で居られます。父がまだ自分を見守っていたように。ロミがこれから先も見守ってくれるように。彼等のような人が居る限り「自我」は確かに、此処にあるんです。

これは、変化を遂げる事が出来る愛内周太が、普通である現状を選び、愛するまでの御話
父の、ロミの「愛」を受け取った彼が、クソッタレな世界で紡ぐ「再始動」を描いた物語
恋はどこから来て、どこへ行くのか。
それは未だに誰も知らない。誰にも分からない人生の幕開けとなるのでした。





8.あとがき
正直、この批評を書き終えた今も『アインシュタインより愛を込めて』をどう評価して良いか分からない自分がいます。
今回、僕の語った事が合っているなんて豪語する気も更々ありませんし、そもそも本作はそんな風に主張する事自体、困難極まりない産物です。確固たる自信が欲しいと希ったのは、果たして何時ぶりの事でしょうか。
だから、今回ここまで語ったのはあくまで此方の意地。「分からないってのは、腹が立つよな」と。周太が語った内容と同じ事を思ったから書いただけの戯言。ここまで読んでも、僕の言い分に納得出来なかった方は居る事でしょう。
ただそんな空論でも、僕は僕だけの答えをそこに得ました。そんな回答を考えさせてくれるだけの力はある作品だとも思っています。出来が良いか悪いかは各々の意見もあるでしょうが、僕の中で本作は、そこのみに捉われない機会を与えてくれたのも事実なんです。

だから、総じて「嫌いじゃない」

いくら考えても答えは出ない問題を考え続けて。いくら考えても解けない問題にしがみつき続けて。それでも進む事を諦めない意義を、改めて強く学びました。
こんなクソッタレの妄想でも、一応の「愛」は込めたつもりです。
本作を読んで下さった方の「回答」へ至る材料に微少でもなってくれたら、これ幸いと思う他ありません。
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soulfeeler316さんの「アインシュタインより愛を込めて」の感想へのレス

EX.ジョナサンと宇宙クジラ(鯨のミステリー及び彗星との関連性)
番外編として語りたくなった彗星の鯨
あくまで豆知識的な雑学に過ぎないので不要な方もいるかもしれませんが、本作の鯨に関係しているかもしれない御話です。
お時間に余裕があったらお読み下さい。


さて、本作には鯨が「彗星の遣い」として登場しますけど、この動物は深めれば深める程、奇妙奇天烈摩訶不思議。中々に結構面白いヤツです。
「彗星&鯨」と言う2つの関係について、どこかで聞き覚えがあると思っていたら、昔とある論文をサイトで見たのを思い出した次第

1607年、ヨハネス・ケプラーと言う人がハレー彗星を観測したんですが、その際に彼はある彗星論を提唱しています。
それは、彗星がスピリトゥス(精神・魂)に導かれていると唱えたモノ。その際の例示に「鯨」を利用している事が分かっています。
海辺に鯨が打ち上げられる時、当時の人々は、そいつが無自覚に「目に見えない霊的な何か」に導かれていて、それが未来の何かの予兆ではないかと解釈してきました。
神が何らかの警告を人間に与える為に鯨を導いていると。
彗星も鯨と同じで、宇宙空間から地球の近くへスピリトゥス(精神・魂)に導かれてやってきているし、それは神から与えられる警告なんだ。
とまあ、そのようにケプラーは主張して、彗星と鯨、宇宙と海をそれぞれ類推した次第

スピリチュアル系統だと、鯨は次元上昇を司る愛を発達させた動物で、進化した魂を持つ子供達(サイキック・チルドレン)の霊魂と繋がっているみたいですね。そこら辺も物語に組み入れたのかもしれません、そっち系はあまり詳しくないので、そこまでしか分かりませんが。


余談。ケプラーが語っていた事を知っていたかどうかは不明ですが、宮沢賢治の初期作『双子の星』に登場する彗星は、自身を「空のくじら」と名乗っています。
2020年11月11日20時11分30秒

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